2012年02月26日

古代のお金の発明が社会の格差と二極化を生み出した(NHKスペシャル「HUMAN ヒューマン なぜヒトは人間になれたのか 」)

今日の夜9時からのNHKスペシャルは、「HUMAN ヒューマン なぜヒトは人間になれたのか 」というタイトルの4回目、ヒトが人間になった理由の一つにお金があったという話でした。

番組では、お金が生まれる前の社会として、現在もまだほとんどお金を使っていない地域(カメルーンの一地方)が紹介されていましたが、そこは完全な平等・横並びの社会でした。

毎日がその日暮らしで不安定で、いつ自分が病気などになるか分からないので、コミュニティの全員と仲良く協力して暮らしていくしかない。だから、1人が取った獲物は必ず全員に平等に分配する。自分の獲物を蓄えたりすると、皆から非難されるので、獲物は残さず全て皆に分配する。だから、蓄えはない。その日暮らし。他人に抜きん出てやろうという人が出にくい発展のない社会。日本にもあった昔の村社会という感じですね。

このようなお金のない社会から、交換が始まりました(交換は他者を信頼しないとできないので、他者を信頼できない他の動物の世界では交換はないそうです)。その交換のために、最初は麦、貝殻、羊などがお金として使われるようになり、その後、紀元前5世紀頃から古代アテナイなどで金貨が生まれました。その結果、個人個人が自分の才覚で生きる時代が幕開け。都市が生まれ、職業が生まれ、社会が発展しましたが、格差も生まれました。

・・・私の印象としてこういう古代からの歴史の流れを辿る番組でした。

今、日本でも欧米でも韓国でも、社会の格差と二極化の拡大、中間層の没落が大きな問題となっています。その原因は主に、グローバル化とIT化の2つだと言われてきました。中国、インド、ロシアなどの膨大な人口を抱える新興国の国民と競争する過程では賃金が世界的に平準化するため先進国の賃金が下がるのは必然であること、IT化で従来の事務仕事がコンピュータに代替されたためコンピュータが容易に代替できない高報酬の頭脳労働か低賃金のサービス業だけになったことなどが原因だとされてきました。

しかし、そのようなグローバル化とIT化さえも、ヒト(HUMAN)が古代にお金を発明したことからくる必然の流れの中の1コマに過ぎないのではないかと、この番組を見ながら感じました。
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2011年02月10日

「ワンピース メガヒットの秘密」を見て

少年ジャンプで連載中の「ワンピース」をNHKクローズアップ現代で特集していました。

私も昔読んでたことがあったので興味をもって見ました。

「ワンピース」全61巻の累計発行部数は2億冊、大ヒット中のお化け商品で、読者の9割が20〜30歳代の大人ということです。

番組では親子でアニメを見ながら涙を流す母親、この漫画を読んでウツから立ち直った40歳の男性(座右の書はワンピースのコミックで、全61巻に付箋がたくさん貼ってありました)が紹介されていました。

なぜこの漫画が人気なのか。

番組では、仲間同士の深い絆や信頼に憧れながら現実の世界でそれが得られない人が多いことがヒットの秘密なのではないかという見方が甲南女子大学の教授(馬場伸彦氏)から出されていました。

現代の就活ではコミュニケーション能力が決め手と言われ、そこでいうコミュニケーション能力とは、空気を読むこと、空気を読むとは、その場の雰囲気を瞬時に察知してそれに合わせること、その場の雰囲気に合わせてその場を繕おうとする限りは本音で話すことはできない、本音で話すことができなければ本音で話せて信頼できる仲間は出来にくい、だから、現実の世界で得られない「本音で話せる仲間との深い絆」を描いているワンピースの世界に憧れる、という図式だろうということです。

今の学校カーストの中でのイジメの恐怖や就職氷河期の閉塞感などで、皆が本音で話すことに臆病になっているのではないかと感じます。今必要なのは、空気を読むコミュニケーションを超えて行くこと、孤立を恐れず本音で語ることなのではないかと感じました。

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2010年04月18日

裁判員制度と民主主義



東京新聞 2010/4/18 週のはじめに考える 変容する“盆栽司法”


有罪であることの確認から有罪か無罪かの判定へ−日本の司法文化が変わり始めました。多くの国民が意識を転換して変革の一翼を担いたいものです。(中略)
別の刑事法学者は有罪率99%という実態をもとに「日本の裁判所は有罪であることを確認するところだ」と嘆きました。(中略)  

日本では疑わしい人を起訴して裁判にかけるかどうかの権限は検察官が握り、原則として検察官の積極的判断がなければ刑事責任を追及できません。その検察官は慎重で、有罪判決が確実と考えられなければ起訴しません。(中略)
欧米では「有罪の見込みが51%あれば起訴せよ」と言われるほどです。捜査機関という密室で事件に終止符を打つのではなく、開かれた場である法廷で決着をつけるべきだとの考えからです。そのかわり無罪になる率は高く、40%に達することもあるといわれます。
日本の検察が起訴を絞るのは、起訴された被告人の負担がとても重いからでもあります。心労、仕事や社会生活への支障、弁護料その他の経済的負担…無罪になっても取り返しはつきません。
市民感覚の反映で起訴の幅を広げるだけでなく、被告人の負担を軽くする工夫が必要です。(中略)
有罪判決が確定するまではあくまでも被告人を無罪として扱うよう、意識転換しなければなりません。(中略)
正義はあらかじめ決まっているもの、あるいは誰かに決めてもらうものと考えがちですが、自分たちで決めることが憲法の大原則である「国民主権」にかないます。

最近も検察報道についての反省を書いていた東京新聞の社説ですが、今の日本で「有罪の見込みが51%あれば起訴せよ」となると大変なことになるでしょうね。今の日本では起訴どころか逮捕されたり新聞に報道されただけで、人間関係・信用・職などを含む極めて大きなものを失ってしまうので。

「有罪の見込みが51%あれば起訴せよ」を実行するためには、この社説も書いてるように、有罪判決が確定するまでは無罪と扱うこと、判決までの期間を数ヶ月程度に短くすること、優秀な国選弁護士に低額で依頼できて裁判中も日常生活に支障が出ないようにすることなどが必要と思います。

少し前、陪審制について調べたことがあったのですが、裁判員制度の参考とされた米国の「陪審制」は、歴史的に、「検察官や、検察官に迎合的なあるいは偏った裁判官に対する防御壁」として位置付けられていたそうです(ウィキペディアより)。つまり、民主主義の理念は「人民の、人民による、人民のための統治」というものですが、この中の「人民による」という部分は、「自分たちのことは自分たち自身(自分たちの代表である議員を含む)で決めるべきだ、たとえその結果が失敗に終わったとしても、自分たちの代表ではない者(官僚や職業裁判官)に決めてもらうよりはましだ」という考え方を示しているのですね。そして、この考え方を司法にも貫徹したのが米国の陪審制でした。

これに対して、今までの日本の司法制度は、「自分たちのことを、自分たちの代表ではない(選挙で選んだのではない)職業裁判官に決めてもらう、自分たちや自分たちの代表が決めるよりも、司法試験に合格した優秀な職業裁判官(=お上)に任せた方が、より正しい決定をしてもらえる」という考え方に基づくもので、「人民による統治」とは逆の考え方に基づくものだった、と思います。
だから、裁判員制度は「人民による統治」を裁判にも貫徹しようとするもので望ましい方向と思います。

ただ、裁判員制度にも問題があるとされています。それは、司法は、政治や行政の多数決原理では不利になってしまう少数者を救済するという役割をもつのですが、民主主義(多数決原理)をストレートに裁判に持ち込むとそれが失われてしまうということです。
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2010年03月26日

新聞販売店の生きる道



先日のNHKスペシャル「激震 マスメディア 〜テレビ・新聞の未来〜」、ネット上での事前の盛り上がりに反して、実際に見た番組は低調な議論に終始して、既存メディアの旧態依然ぶりが明らかになったという、逆の意味で有益?な内容でした。


旧来のマスメディアである新聞とテレビとでは、まず新聞の経営危機が現実のものとなりそうで、しかも紙から電子新聞へ徐々に移行していくとなると、もう新聞販売店の未来は真っ暗となりそうです。でも、よく考えてみるとそうでもないと思います。


新聞配達は、毎日、地域の決まった家に戸別配達する仕事ですので、配達する家が毎日一定ではない宅配便や郵便とは少し違います。また、宅配便や郵便とは配達の時間帯(早朝)が大きく違います。他方、郵便や宅配も同じ点ですが、毎月の集金などで、地域の家の人と日常的な接点を持つ仕事です。また、家が密集している地域ではどの家がどの人かはなかなか分からないのですが、それをきちんと整理記憶して間違わずに配達するというのは貴重なノウハウと思います。


だとすると、こういう特性やノウハウを生かして、巡回・訪問介護サービス、お年寄りへの食事宅配、スーパー・コンビニの御用聞きサービスなどに進出したりそれらと連携したりすることは十分に可能と思います。


近い将来、介護や小売の大手が全国の新聞販売店を組織化する展開もあり得るのかなと思います。


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2010年03月20日

名誉棄損の慰謝料は著名人かどうかで差別されるべきでない



毎日jp 2010/3/17 八百長疑惑裁判:賠償を3割以下に減額 東京高裁判決



大相撲の八百長疑惑を報じた週刊現代の記事で名誉を傷付けられたとして、日本相撲協会と北の湖前理事長が発行元の講談社や筆者らに1億1000万円の賠償などを求めた訴訟の控訴審判決で、東京高裁は17日、1審に続いて講談社側の賠償責任を認め、賠償命令額を1540万円から440万円に大幅減額した。藤村啓裁判長は「名誉棄損の慰謝料は著名人であるかどうかで左右されるべきでない。1審の認定額は高すぎる」と述べた。(中略)


高裁は「記事が真実であることの証明がない」として名誉棄損を認定。前理事長への賠償額について「地位や収入に現実の損害が生じているとは認められず、精神的苦痛に対する慰謝料のみを認めるべきだ」として330万円と算定した。協会についても「興行実績悪化などの実害はなく、記事に対する対応や力士への調査などで不利益を受けたに過ぎない」と判断し、賠償額は110万円とした。



最近、相撲協会などの著名人の週刊誌に対する名誉毀損損害賠償訴訟で、高額の慰謝料が問題になっていました。


全国誌の出版社でも財務的には決して裕福とは言えないので、高額の慰謝料が認められると、出版社の経営を揺るがすことになり、言論の自由を萎縮させる結果になるからです。また、自社に不利な記事を書いた個人ジャーナリストを大企業が高額の損害賠償で訴えるなどの「恫喝訴訟」(自社に不利なことを書かないように恫喝する手段としての訴訟)も表現の自由を萎縮させるものとして問題となっていました。


本来、慰謝料は精神的苦痛に対する賠償ですが、実際には、裁判の中で証明できなかった財産的損害をも慰謝料の中に潜り込ませるという調整弁の機能をも持たされていたので、事実上、経済的損害が大きい著名人は一般人に比べて慰謝料が高額になる傾向があったのです。


そのような業界慣行(馴れ合い)を、今回の東京高裁の裁判官が覆した、と言えると思います。


言われてみれば、著名人かどうかで精神的苦痛に対する慰謝料の額が大きく違うというのは、人間の価値を平等とする憲法の原則に反している訳で、至極まっとうな考え方と思います。


ただ、「著名人か一般人か」が、慰謝料を算定する際の一つの考慮要素になることは認めてよいと思います。個々的に見て、著名人の方が高くなることも、一般人の方が高くなることもあってよいと思います。


例えば、著名人の場合は一つの雑誌の記事だけで多くの国民に注目されてしまうという点で慰謝料額を高くする方向もあり得るし、逆に、もともと著名人なのだからそのような被害は覚悟の上だろうし、マスコミへの露出が増えて人気が出ることもあることからは低くする方向にいってもよいと思います。他方、一般人の場合は、一つの雑誌記事だけでは全国的に注目されなくて一部の人たちが知っただけとしても、それでイジメられたり地域社会で生活しずらくなったなどの事情があれば高額の方向に行くべきと思います。


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2010年03月10日

無料ビジネス



今日のクローズアップ現代の「無料ビジネスの舞台裏」、途中から見ただけでしたが、印象に残りました。


グーグルが米国でやってる無料の電話番号案内サービスは、多数のユーザーがタダで入力してくれる膨大な音声のパターンを収集・データベース化して今後の音声認識サービスに利用する狙いだろうということでした。こういうビジネスモデルはグーグル日本語入力(無料の検索エンジンに入力された膨大な文字とその読みを収集・データベース化して日本語入力システムを提供)も同じですね。


米国ベンチャーが医療機関に提供している無料の電子カルテサービスは、後で個人情報を除いた診療情報(病名、処方薬、薬の副作用、診療経過など)をデータベース化して製薬会社や保険会社に販売して儲けるのが狙いとのことです。


これらは、ポータルサイトの「他社への有料広告枠の販売」というビジネスモデルではなく、「自らの将来の儲け」を元手にして現在の無料サービスを提供するというビジネスモデルです。


それ以外に、多数のユーザーを無料で集めながら(フリー)一部のユーザーから課金する(プレミアム)、これにより一部の顧客からの収益で残りの多数の顧客への無料サービスを支えるという「フリーミアム」(「フリー」の著者クリス・アンダーソンの造語)のビジネスモデルも紹介されていました(スカイプ、アイテム課金で儲ける無料ゲームなど)。


もともと「ビジネスモデル」という言葉が流行し始めたのはネットでの無料ビジネスが始まってからのような気がします。どこで儲けるのかという問題意識からビジネスモデルが注目され始めたのでは。違うかもしれませんが(携帯電話を無料でばら撒くビジネスもかつてありましたからネットだけではないですね)。


「1円」とは全く違う「タダ」「無料」の魅力について、行動経済学の学者が解説していました。


近年のデフレ基調は、隣りの中国の影響(グローバル化)だけでなく、ネットの影響(無料サービスの台頭など)も大きな要因なんでしょうね。


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2010年03月07日

利から義の時代へ?



昨日(2010/3/6)の朝日新聞beに、今求められる人物に関する戦国武将の人気アンケートの結果が載っていました。


このアンケート結果によるランキング1〜10位は順に、織田信長、上杉謙信、真田幸村、直江兼続、徳川家康、伊達政宗、武田信玄、豊臣秀吉、竹中半兵衛、石田三成となっていました。


この結果の中で目立った現象は、豊臣秀吉だけがかつての1〜2番から8番へと大きく順位を下げていたことです。


この現象について、有識者が、利から義を重んじる人が増えたことが原因ではないかとコメントしていました。


確かに、豊臣秀吉といえば、上司である織田信長を要領よくヨイショして可愛がってもらって立身出世したというイメージがあって、高度成長時代はいかにも望ましい社員像という感じだったんでしょうが、今の時代ではどうかなと感じますね。


また、当時日の出の勢いの徳川家康に反抗して豊臣側に付き大阪夏の陣で戦死した真田幸村の人気が3位に上昇したことに関連して、有識者コメントで、「坂の上の雲」を目指した時代や高度成長時代のような上り坂ではない下り坂になったときの身の処し方を今の日本人が求めているのではともありました。


徳川300年の後半の下り坂の時代の人々の生き方が参考になるのかなと、この記事を読みながら思いました。


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2010年02月25日

日本の新聞は日経と読売朝日の2大紙体制に進む?



「世に倦む日日」さんが面白い分析をしています(※追記: 私は昨日このリンクのURLで全文を読んだのですが今確認したら一部だけで残りは有料のレジまぐ版に移行してるようです)。


最近(ここ1年くらい?)の朝日新聞の主張やスタンスの変化は、「読売主導の業界再編で置いてきぼりを食わない」ため、さらには、読売新聞との将来の合併・ガリバー統合を睨んだ布石ではないかというのです。


合併・統合するためには主張やスタンスがかけ離れていると難しいので、朝日の上層部が記者の人事などを使って、朝日の主張やスタンスを読売に合わせるべく画策している、それが最近の朝日の紙面の変調の原因ではないかという見方です。


確かに、最近の朝日の社説などの主張やスタンスは、かつてと様変わりで、ほとんど読売と差が無くなっています。


最近の新聞販売部数や広告売上の激減、押し紙問題(各新聞販売店に不要な部数の買取りを押し付けて新聞販売部数をかさ上げし、広告代を上げているという問題)や記者クラブの問題(各官庁の記者クラブが廃止・解放されれば記者クラブ会員である大新聞の優位性がなくなって経営に悪影響が出るという問題)などを見ると、朝日でもネット時代での生き残りは至難の情勢です。


読売との合併・統合に一縷の望みを掛けて主張やスタンスを変えるなどなりふり構わない動きに出ている、というのは十分あり得る話かなと感じます。


もしこの見方が当たっているのなら、近い将来、日本の新聞業界は、毎日と産経を吸収した「読売朝日新聞」と日経との2大紙体制へと進むことになるのでしょう(個人的にはそれが良い方向だとは全く思っていませんが・・・)。


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2010年02月15日

電子新聞でマスコミの縮小・解体、報道スタンスの多様化に進むのでは



池田信夫blog「電子出版の経済学」



いま電子出版で起こっている現象は、技術的には新しくない。(中略)しかしこれが出版業界や流通業界に与える影響はかなり大きいだろう。それは従来の著者と出版社の関係を変えるからだ。


日本の書籍の印税は10%、原稿料は400字詰め原稿用紙1枚あたり5000円ぐらいが相場で、ここ30年ぐらい変わっていない。(中略)


このように出版社が著者を搾取できるのは、出版の最終的な決定権を出版社がもっているからだ。(中略)


このように仲介機関を「中抜き」してユーザーがネットワークをコントロールするend-to-endの構造は、インターネットの誕生以来のものだが、その構造変化が出版の世界にも及ぶわけだ。過渡的には、紙の本を電子化するビジネスがメインだろうが、最終的には「電子書籍」である必要もない。ワインバーガーのいうように、知識を系統的に整理する書籍という形式は崩壊し、すべての媒体はパンフレットになるかもしれない



池田信夫さんは、電子出版が普及すると、著者と出版社・取次との間でパワーシフトが生じると言ってます。つまり、今まで著者は出版社に認められないと出版できなかったけど、これからはアマゾンやアップルなどの配信業者と直接に契約して(つまり自分が出版社を兼ねる)70%の印税をもらうことも可能ということです。そうなると、取次は存在意義を無くし、出版社も編集部門を除く印刷部門などは存在意義を無くすでしょう。


これは近い将来の形と思いますが、さらに、池田さんによると、「過渡的には、紙の本を電子化するビジネスがメインだろうが、最終的には「電子書籍」である必要もない。ワインバーガーのいうように、知識を系統的に整理する書籍という形式は崩壊し、すべての媒体はパンフレットになる」というように、書籍という形式も崩壊するだろうと述べています。


つまり、今のような200頁以上の書籍の形式をとったのは、千円以上(新書版でも700円以上)の単価にしないと出版・流通経費を回収できないという流通側の事情によるものに過ぎないのだから、電子書籍になれば200頁以上の書籍という形式を取る必然性は全くないということです。


しかし、そうだとすると、形式が崩壊するのは書籍だけではないと思います。雑誌や新聞にしても、今のような形式になっているのは、そうしないと流通経費を回収できないという流通側の事情によるものに過ぎないのだから、電子化されていくと、その形式が崩壊し、「パンフレット化」「断片化」していくのではないでしょうか。


つまり、電子的に読む場合は、今の新聞は分量があり過ぎるので、今の新聞の3〜5分の1以下の分量でよいと思います(資料へのリンクは別途必要でしょうが。さらに、レイアウトについては意見が分かれるでしょうが、私は重要な記事には星印でも付けておけばよいので必要ないと思います)。また、新聞という単位ではなく個々の記事単位でのバラ売り(マイクロ・ペイメント)が主流になる可能性もあります。とにかく、そういう流れになると、電子新聞になったときの売上は、紙の新聞のときに比べて数分の1になるのではないでしょうか。


となると、例えば今の朝日新聞なども、縮小されたり、何個かの新聞社に分解・解体されるのではないでしょうか。


最近、原口総務大臣が、検察報道へのマスコミ批判の関係もあるんでしょうが、クロスオーナーシップ(特定資本が新聞とテレビなど複数メディアを支配すること)の禁止を法制化したいと言っています。クロスオーナーシップ禁止は新聞社と放送局などの間で資本を別にして報道スタンスを多様化させようとするもので、欧米諸国では常識となっているようです。


これはこれで大切と思いますが、仮にこういうことをしなくても、電子化の流れの中で少なくとも紙媒体のマスコミは縮小・解体して行くので、今の朝日、読売、日経、毎日、産経の大手5社が、それぞれ規模を縮小したり分割されて、さらに、ネット専業の新聞社が、今もJ-CASTニュースや47NEWSなどがありますが、今後さらに何社かが創業されて、トータルで20〜30社の中規模の電子新聞社(もはやマスコミではなくミドルメディア)が競う状態になるのではないかと思います。そうなると、それら多数の新聞社が皆同じような報道をしていても仕方が無いので、それぞれがターゲット顧客や主張や立ち位置を明確化・差別化して行くでしょう。


よって、新聞の電子化が主流になると、一足早く「報道スタンスの多様化」が実現されるのではないかと思います。


また、そういう意味で、少し大袈裟かもしれませんが、電子新聞は、報道の在り方や国民の知る権利・民主主義の在り方にまで広がっていく問題になるのではないかと思います(例えば、国家権力に対抗できる第4の権力としてのマスコミには強大な組織力が必要なのですが、中規模の組織しか持たない電子新聞社にそのような役割を果たせるのかなどの問題が出てくると思います)。


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2010年02月05日

トヨタ・プリウスのブレーキ欠陥問題についての私見



中日新聞2010年2月5日 トヨタ、ブレーキ欠陥を否定 プリウス苦情で会見



 トヨタ自動車の横山裕行常務役員(品質保証担当)は4日、東京都内で記者会見し、ハイブリッド車「プリウス」のブレーキに対する苦情問題について、「ブレーキを踏み増せば安全に車は止まる」と述べ、ブレーキの性能に欠陥はない、との認識を示した。


 プリウスはガソリン車と同じ「油圧ブレーキ」と、ハイブリッド車特有の「回生ブレーキ」を併用。走行状態に合わせ、自動的に車自体が最善の組み合わせを選ぶ仕組みだ。


 ただ、凍結など滑りやすい路面で車体をコントロールするアンチロック・ブレーキ・システム(ABS)が作動すると、回生ブレーキとの併用から油圧ブレーキ単独への切り替えに、時間差が生じるという。


 これについて横山氏は「ブレーキを踏めば(車は)きちっと止まる。(制動距離が)伸びることはない」と車両の安全性を強調。ただ、トヨタはドライバーが感じる「違和感」を解消するため、2009年5月の発売から10年1月下旬にかけ国内で販売した車両を対象に、ブレーキ制御のコンピューターを改良ソフトに書き換える無料改修を行う。



上の記事によると、新型プリウスの不具合についてのトヨタ側の説明は、次の2つです。


(1)「ブレーキを踏み増せば安全に車は止まる」と述べ、ブレーキの性能に欠陥はない、との認識。


(2)「ブレーキを踏めば(車は)きちっと止まる。(制動距離が)伸びることはない」


上の(1)と(2)の文章を組み合わせると、(3)「ブレーキを踏み増せば、(車は)きちっと止まる。(制動距離が)伸びることはない」というのが正確なところなんでしょうかね。


仮にそうだとすれば、逆に、(4)「ブレーキを踏み増すことをしなければ(つまり、雨で濡れたマンホールなどの滑りやすい場所に入る前にブレーキを踏んだ状態のままでは)、車はきちっと止まらない、(制動距離が)伸びる」ということになるのでないでしょうか(上記の(3)の文章の反対解釈から)。


もしそうだとすれば、欠陥という表現も有り得るのではという疑問も出てくるように思います(※ただの「空走感」ではなく「空走の事実」が発生しているため。PL法の「欠陥」に該当するかは分かりませんが)。


上記の記事の説明だけではよく分からないんですが、アンチロックブレーキシステムは、滑りやすい場所でブレーキを踏んだときでも車輪がロックしないように高速でブレーキを掛けたり緩めたりするもので、それは、「油圧ブレーキの制御」で行っています、したがって、雨に濡れたマンホールの上を走行してタイヤが一瞬でもロックすると、それが検出されて、アンチロックブレーキシステムの作動を開始させようとする、そのために「回生ブレーキと油圧ブレーキとの併用」から「油圧ブレーキ単独」への切り替え動作に入って、タイムラグが生じてしまう、ということのようです。


ハイブリッド車とアンチロックブレーキシステムを組み合わせたことにより生じた問題、その意味でハイブリッド車に本質的な問題と言えますね。


上記の「ブレーキ制御のコンピューターを改良ソフトに書き換える無料改修」の内容は上の記事からは分かりませんが、おそらく、雨に濡れたマンホールの上を走っただけではアンチロックブレーキシステムの作動を開始させないようにする(=車輪が一瞬ロックしただけではアンチロックブレーキシステムの作動を開始させないようにする)、そのために、アンチロックブレーキシステムが作動を開始する条件の範囲を狭める、悪く言えばアンチロックブレーキシステムの性能を落とすということなのかなと思います(確認しておらず予想です)。


追記1: 私もトヨタ車に乗ってて満足してますので別にトヨタに恨みは無いんですが^^; 上の記事の「ブレーキ制御のコンピューターを改良ソフトに書き換える無料改修を行う」という部分が少し気になります。上に書いたように、もしこの無料改修がアンチロックブレーキシステムの性能を落とす(システムが作動する場面を少なくする)ことだとすると、むしろその面からの安全性の低下の問題が出てくるのではという懸念があるんですよね(あくまで仮定の話です)。トヨタには、ソフトのどういう改修を行うのか、きっちり説明して欲しいと思いますね。


追記2: 後で知りましたが、今回の不具合が生じるのは低速の場合だけで、トヨタは低速の場合は回生ブレーキだけにしているがホンダは常に油圧ブレーキを作動させるようにしているので、ホンダ車ではこういう問題は生じないという情報を見ました(未確認ですが)。もしそうだとすると、ハイブリッド車に本質的な問題とまでは言えないようですし、上の追記1で私の書いたことは少し前提が違ってくるかもしれません。ただ、この情報は、上の記事のトヨタの説明とは少し違うのではと思います。


追記3: トヨタの担当役員は上の記事で「ブレーキを踏み増せば安全に車は止まる」と言ってるんですが、滑りやすい路面でブレーキを慌てて強く踏むと車輪がロックしてスリップするので危険ですよね(まぁそのためのアンチロックブレーキシステムなんですが^^; 少なくとも私の頃はブレーキを急に強く踏むなと教わりました。※ABSを作動させるためには雪道などでも強くブレーキを踏むことが必要(ABSが作動するとハンドルが震える)とのことです)。それと、プリウス新型についてのみリコールということですが、プリウス旧型はなぜリコールしなくてよいのか、どう違うのか、その理由についても説明してほしいと思いますね。


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2010年01月19日

地域おこしのキャラクターやその愛称を公募・選考する場合の問題点



カナロコ 2010/1/12記事:ヒーロー「キンタローマン」敗れる、投票1位なのに…/南足柄PRキャラ



南足柄市などがデザインを公募した「足柄山の金太郎」をモチーフにした観光PRキャラクターに寄せられた戦隊ヒーロー風の作品「キンタローマン」。子どもから圧倒的な人気を集め、市民投票では126票を得て断トツの1位。だが、デザインが奇抜過ぎたのか、最終審査では、投票12位(13票)の作品に最優秀の座を奪われ、2番手の優秀賞に泣いた。「まさかの大逆転」と市民や市議からは疑問や驚きの声が上がっている。



市民の人気投票での投票1位が敗れて投票12位が最優秀賞という審査結果に対して、最初から受賞者が決まってたデキレースだったのではなどの疑問の声も2chなどで出ているようです。


地方自治体が地域おこしの関係でキャラクターやその愛称を公募し選考する場合は、キャラクターは著作権で保護されるので著作権を応募者から譲渡してもらう手立てをしておけばほぼ問題ない(念のため商標登録することも多い)ですが、愛称などのネーミングは著作権では保護されないので商標権で保護しておく必要があります。


他者が既に類似したネーミングを商標登録しているために、せっかく公募・選考したネーミングが特産品などに使用できなかったり商標登録できなかったりするのでは、地域おこしの経済的側面の意味がなくなってしまうからです。


したがって、多数の応募の中から、数個の候補を選定した後に、先行商標調査をしてそのネーミングの商標としての使用や登録が可能かを確認して、問題があるものを除外してから改めて最終的な受賞を選定することが実際上広く行われていると思います。それは止むを得ないと思いますが、そのために選考過程が少し不透明になっていることは否めないですね。


そういったことを考えると、公募の前に、選考基準の中に、商標登録可能なものを優先する(上の記事の南足柄市の場合は、デザインが奇抜過ぎるのはダメも?)などをも含めて予め公表しておくことが望ましいだろうと、上の記事を見ながら思いました。


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2010年01月15日

電子書籍で出版社の中抜きの恐れ?



asahi.com 2010/1/13 電子書籍化へ出版社が大同団結 国内市場の主導権狙い



拡大が予想される電子書籍市場で国内での主導権を確保しようと、講談社、小学館、新潮社など国内の出版社21社が、一般社団法人「日本電子書籍出版社協会」(仮称)を2月に発足させる。米国の電子書籍最大手アマゾンから、話題の読書端末「キンドル」日本語版が発売されることを想定した動きだ。



電子書籍市場に向けての出版社の大同団結ですが、背景には、近年の出版社の苦境とデジタル化に関して法制上のアドバンテージを持たない出版社の危機感があるようです。


知人のブログ経由で知ったのですが、「ブラックジャックによろしく」などを描いてる人気漫画家の佐藤秀峰さんのブログによると、大手出版社はのきなみ数億円以上の赤字の苦境にあるそうです。


また、この佐藤さんのブログでは、電子書籍に関して作家は出版社との関係をどうすべきかよく考えるべきと主張しています。これによると、初期の携帯コミックで作家とコンテンツ配信業者が直接契約していた時代は売上の40%が作家に渡されていましたが、その後、作家と配信業者の間に出版社が入るようになると作家には売上の10%しか渡されなくなった(30%が消えた)そうです。


著作権はあくまで作家にあるので、デジタル化と配信について作家がアマゾンなどと直接契約すれば出版社には何も残りません。出版社にはそういう危機感があるので、出版社が作品の二次利用ができる権利を著作権法などの中に創設してほしいと動いているようです。


ところで今の出版社の苦境の原因の一つに、漫画や雑誌が立ち読みで消費されて購買まで結びついてないことがあると思います(私もよく立ち読みしてます^^;)。


デジタル化されると、漫画や雑誌が表示される電子書籍端末のハードそのものを回し読みする場合を除いて、漫画や雑誌を立ち読みするときは、コピー(又は電子送信)するしかありませんから、著作権者の許諾がある場合や個人利用などの例外を除き、必ず著作権侵害になります。


そうだとすると、漫画や雑誌のデジタル化は、「許諾なしの立ち読み・タダ読みを防ぐ」という点から、作家や出版社に有利な方向に行く可能性もあるのではと思います(なお、アマゾンの「なか見!検索」のように、販売促進の観点からの著作権者の許諾を得た形での「ネット上での、一部分だけの立ち読み」はこれからも有るでしょう)。


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2010年01月14日

グーグルが中国撤退も視野に中国政府と交渉



NIKKEI NET(2010/1/13)の記事:グーグル、障壁高く戦略転換 検閲撤廃求め中国当局と交渉へ



インターネット検索最大手の米グーグルは、ネット情報の一部を表示させないようにしている中国政府に対し、検閲無しでの検索サービスの運営を求めることを明らかにした。中国では海外と中国国内のインターネットをつなぐ結節点を、政府系通信会社がコントロールしている。言論の自由や人権、少数民族問題など政治的に敏感な報道や国際世論を必要に応じて遮断するためだ。グローバルな情報流通が競争力の源泉であるグーグルも、中国向けの中国語サービスでは、共産党政府の検閲を事実上容認する形で市場開拓を進めてきた。



海外と中国国内のインターネットをつなぐ結節点を政府系通信会社がコントロールしていることが一種の「非関税障壁」となっており、これが、百度などの国内ネット企業が大きなシェアを維持できている要因にもなっているようです。中国内では2009年3月からYouTubeが恒常的に閲覧できなくなってもいるようです。


中国内の検索サービスのシェアは、現在、百度が約60%、グーグルが約30%で、上記のような「非関税障壁」の中で、グーグルはかなり健闘しています。


日経の記事では、急成長中の中国市場から撤退することはグーグルの成長に不利と書かれていましたが、いつもグーグルを使っている立場からは、グーグルが使えなくなることによる中国の国民や経済の不利の方が気になりました。


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2010年01月10日

全身スキャナが街中カメラに搭載される日も?



ネタりか2010/1/8記事タイトル:どこまで見えるのか全身スキャナ



1月に入り、世界各国の国際空港が次々と全身を透視できるスキャナーの導入に踏み切っている。先月25日に起きた米航空機の爆破テロ未遂事件を受けての安全措置だ。事件の容疑者はブリーフの股の間に爆発物を隠し持っていたにもかかわらず、金属探知機をスリ抜けていた。


 この新型の全身スキャナーは人体を白、それ以外の異物を黒い画像で映し出す優れモノ。ブリーフに爆発物を隠しても一発でお見通しだが、透視能力があまりにも優れ過ぎて、問題が生じている。



少し前から話題になっている空港の透視スキャナ。


人体に有害なX線を透過させるのか他の電磁波を透過させるのか知りませんが、多分レントゲンと同じような画像が得られるだけなんでしょうね。スーツケースの中をX線で透視してるのと同じようなものでしょう。写った顔の部分から誰かを判別できるようなリアルな画像は無理なのでは?


プライバシーの問題はあるとしても、テロ対策から、ある程度は止むを得ないように思います。


今でも街角の監視カメラに暗視カメラ機能(赤外線の反射を利用して暗闇でも白黒の画像を撮像する機能)が付いたものがありますので、将来は、上の記事のような透視機能を備えてポケットの中にピストルを隠し持っている人が歩いてたらピストル画像を検知して通報するようなカメラが街中に設置されるかもしれませんね(電磁波を照射する側と透過した電磁波を受信する側とが必要なのでコストなどちょっと大変かも知れませんが)。


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2010年01月07日

米グーグルの携帯端末「ネクサス・ワン」が知的財産権侵害の恐れ?



WSJ日本版2010/1/6の記事: 米グーグルの「ネクサス・ワン」、知的所有権侵害の恐れ



インターネット検索大手の米グーグルは自社製スマートフォン(多機能型携帯電話)「Nexus One(ネクサス・ワン)」を発表するに当たって、電話で連絡を取らなかったところが1カ所ある。それは、SF小説家の故フィリップ・K・ディック氏の遺族に対してだった。ネクサス・ワンは、同氏の著名な小説の知的所有権を侵害していると彼らは主張している。(中略)


ディック氏が1968年に出版した小説「アンドロイドは電気羊の夢を見るのか?」は、1982年公開の映画「ブレードランナー」の原作だ。物語は、「ネクサス6型」と呼ばれるアンドロイドを追跡するハンターを中心に展開する。


ハケット氏は、グーグルは同社スマートフォンの製品名を決める際にこの小説を参考にしたと考えている。だが同社は、ディック氏の遺族や弁護士に使用許可を求める連絡はしなかった。



SF作家のディック氏の遺族は、グーグルがその携帯OSの「アンドロイド」と携帯端末の「ネクサス・ワン」というネーミングを、1968年に出版された小説「アンドロイドは電気羊の夢を見るのか?」の中に出てくる「アンドロイド」と「ネクサス6型」を参考にして決めたはずなのに、遺族に許諾を得なかったので、特に「ネクサス・ワン」について知的所有権侵害だと主張しているようです。


他の記事をも見た限りでは、この小説は、奴隷として過酷な労働に従事しているアンドロイド(人造人間)が人間社会の中に紛れ込んだり反乱を起こすという内容で、奴隷となっているアンドロイドの型・モデルが「ネクサス6型」というものだったようです。


主に著作権法が問題となっていると思いますが、米国の法制は詳しくないので、日本ならどうなるか、私なりの意見を述べておきます(まぁ大した意見ではないですが)。


昔(20年くらい前)は、商品化権(キャラクターを商品・サービスの販売促進などに利用する権利)を基礎付けるために、小説や漫画の登場人物の「人格やイメージ」を個々の絵などの具体的表現を超えた抽象的な「キャラクター」として著作権法上も保護すべきだという見解があったのですが、最近はそのような見解を採る人(学者など)はほとんど居ないようです。もし、そのような見解を採るのなら、「ネクサス」という名称もこの小説の登場人物の「キャラクター」を構成する一部として著作権上保護されるべきという主張も可能でしょうが、今は無理でしょう。


そして、俳句は17文字でも芸術的表現として著作物性が認められますが、一般に、商品ネーミングなどの短い言葉は創作的表現(著作物)とは言えない、とされています。


よって、「ネクサス」という言葉は、たとえこの小説の中で主要な登場人物を示す名称だったとしても、「創作的表現(著作物)」とは言えないので著作権法上の保護は受けられないと思います。


先ほど、中山信弘先生の「著作権法」(有斐閣)を引っ張り出して「キャラクター(商品化権)」の部分を読んでみましたが、「東大の門前で、(夏目)漱石の小説の主人公の名前を付した『三四郎饅頭』を販売しても、『三四郎』という名前自体には著作権がないので著作権侵害とはならない」と明確に書かれていました(148頁)。


なお、「ネクサス」(nexus)とは、もともと「きずな、つながり」という意味で、辞書に載っている言葉です。


以上のように、もし有名な小説の中からパクッたと仮定しても「ネクサス」という言葉を携帯端末の名称として使用することは少なくとも著作権法上は問題ないと思いますが、実務上は遺族などの了解を得ることが多いようです(トラブルによるイメージダウンを避けるため?)。


なお、商標の問題については、グーグルは既に米国特許商標庁に対して「ネクサス」関連の商標を出願しているようですので、クリアしているようです。


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2010年01月02日

明けましておめでとうございます



新年明けましておめでとうございます。


2010年が始まりましたね。


さっき元日夜のNHKスペシャルで民主党が昨年末に発表した経済成長戦略(基本方針)について、管さんや東国原知事などが討論してるのを見てたんですが、成長戦略に関しては普天間の基地移設で揉めてる日米外交がかなり関係してるというか、外交戦略が成長戦略に直結しているという視点が出ていなかったかなと思いました(途中で見るの止めたので後半は分かりませんが)。中国の内需をどう取り込むかについては、米国と中国との正三角形で行くのか二等辺三角形で行くのかが大きく影響すると感じています。


このブログは始めてまだ2ヶ月なので方向が定まっていないのですが、知財を中心としながらも、雑談的に社会や政治のことなども少しは触れて行きたいなと思っています。


まぁ、そういうことで、今年もよろしくお願い致します。


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2009年12月30日

長崎県のベンチャーが痴漢冤罪を防止する手袋を開発(特許出願も)



47news 2009/12/26 記事タイトル:痴漢の冤罪を手袋で阻止 男女とも安心、特許出願中



「これがあれば男性も安心して電車やバスに乗れます」―。長崎県佐世保市のベンチャー企業「マインドバンク」が、痴漢と間違われないよう手袋に曲がった合成樹脂板を入れ、手を軽く握った状態のまま開けなくする「男のグー手袋」を開発した。インターネットで卸販売を始め、特許も出願中だ。



この痴漢冤罪を防止する手袋、要するに、「普通の手袋の中に、曲がった指の形をした硬い合成樹脂板を入れて、指を動かせないようにする」(これで痴漢が不可能?)というもので、特許出願中とのことです。


1個1,575円で販売とのことですが、2chでは「手の甲でお尻をさわられましたで終りだろ」とか「かえって怪しすぎる」など、かなり厳しい評価が多いようですね。


でも、こういうモノを考え付く人は稀な訳で、その意味で発明の才能(発想力)はかなりある人だと思います。


もし出願審査請求されて、特許庁で審査された場合、手袋の中に曲がった指の形をした硬い合成樹脂板を入れて指が動かないようにするというのは、外形的には、手袋付きの義手などで似たものがあるかもしれません(特許庁の審査で、義手などが、この発明は進歩性がないという先行技術として引用されるかもしれません)。しかし、義手と「痴漢ができなくするための合成樹脂板」とは目的や効果が大きく異なるので、この発明について進歩性が認められる可能性はかなりあるのではと思います。


こう考えると、クレーム(特許請求の範囲)を「痴漢をできなくする(痴漢冤罪を防止する)方法の発明」として構成した方が進歩性は認められやすいのかもしれませんね。


まぁ、特許が取れても、売れるかどうかは全く別なんですけどね。


今年はこれが最後のエントリになります。


皆様、よいお年を。


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2009年12月26日

ホリエモン、ゼロからの出発?



2009/12/25 asahi.com 堀江元社長、旧ライブドアと和解 208億円相当支払い



ライブドアグループの持ち株会社「LDH」(旧ライブドアホールディングス、東京都新宿区)が、証券取引法(現・金融商品取引法)違反の罪で一、二審で実刑判決を受けた堀江貴文元社長(37)=上告中=ら7人に約363億円の損害賠償を求めた訴訟で25日、堀江元社長との和解が東京地裁(菅野博之裁判長)で成立した。LDHによると、堀江元社長が約208億円に相当する株式などを同社に引き渡すとの和解内容。



LDHが上の記事の中でコメントしていた「引き渡しを受ける資産(=約208億円)は堀江氏の資産のほぼすべてに相当する」については、隠し資産があるはずだという見方が2chなどでは多いようですが、それはともかく、今回208億円もの大金で和解したのは最高裁に係属中の刑事裁判で執行猶予を得たいという狙いもあるのかも知れませんね(208億円を支払うなど既に社会的制裁を受けていると主張して)。


ホリエモンのブログは昔からたまに見てるのですが、硬軟の多様な話題を本音で語るのがこの人の持ち味で、逮捕前と逮捕・起訴後の今とでそれほど主張を変えているとは思えず、それなりに正直な人柄ではないかなと勝手に想像しています。


これだけ好き嫌いが分かれてる人も珍しいですが、しぶとそうだし(笑)、いろんな才能を持っている人なので、文字通りゼロからの出発をして、新しい生き方を示して欲しいなと思います。


追記: 上記の208億円の内訳は、堀江氏が保有するライブドア社の全株式(約181万株、約40億円相当)、同社から支払いを保留されていた株式配当金(約146億円)の請求権など、とのこと。


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2009年12月25日

専門家の競争激化と職業倫理



2009.12.07 asahi.com 債務整理ビジネスに「悪徳弁護士も」対策協など批判



決議は「都市圏を中心に弁護士らの債務整理広告が氾濫(はんらん)しており、多重債務者の窮状につけ込んで集客している」と批判。弁護士会などの団体によるもの以外の弁護士・司法書士、事務所の単独の広告を禁じるよう求めた。


日本司法書士会連合会も「自らの利益追求のみに走る弁護士や司法書士が一定数存在する」と認め、指針作りに乗り出している。



サラ金消費者が利息制限法の上限利率を超えて業者に支払った過払い利息の返還に関する最高裁判決(平成18年1月13日)が出て以降、弁護士や司法書士業界に「特需」が発生し、最近はピークを過ぎたようですが、この間、マス広告で多数の顧客を集めて大量の事件を定型業務的に処理する事務所が現れ、中には悪徳業者といえるような事例もあるということで、上の記事のような全国クレジット・サラ金問題対策協議会の決議に至ったようです。


上の記事はこちらのブログ(言語空間+備忘録)で知りました。


こちらのブログの意見を読んで、特にその中の(終わりに書かれてあった)専門家の競争激化と職業倫理の部分を読んで少し考えたことを、以下に記します。


弁護士、司法書士、医師、弁理士などの専門家の職業倫理についての私の実感としては、競争や広告そのものが職業倫理を失わせるということはほとんどないと思います(高額の広告代が払えなくなって借金して、悪事に手を染めるということなども少しは有るかもしれませんが)。


むしろ、競争があまり無かった昔の方が、職業倫理に反する事例は比率としては多かったのではないかと思います。ただ、それが表に出難かったのではないでしょうか。


まず、もともと職業倫理のある専門家なら、競争が激しいかどうかに拘わらず、職業倫理に沿った仕事をすると思います。


では、もともと職業倫理に乏しい専門家はどうか。


この場合、競争が激しくなかった昔は、専門家の力が強く、顧客の力が相対的に低かったので、顧客を軽く見て、倫理的に疑問のある内容の仕事をする例(特に、悪質だが違法とまでは言い切れないグレーのケース)は、かなりあった、というか、少なくとも「やりやすかった」し「やっても表に出難かった」と思います。


これに対して、最近は、顧客の力が相対的に強くなったため、もし職業倫理に反する仕事をすると、顧客の側としては、弁護士会などに懲戒請求をしたり、損害賠償の訴訟をしたり、ブログに書いたり^^; します。つまり、容易に表に出ますので、倫理に反する仕事が「やり難くなった」のは確かと思います。


それは医療業界を見れば明らかで、最近のインフォームド・コンセントやセカンド・オピニオンにしても、患者の力が相対的に強くなったからこそ、普及してきたのではと思います。


要するに、専門家の端くれとして思うには、専門家に職業倫理に沿う仕事をさせるために最も有効な方法は、顧客の力を相対的に高めること(=専門家の力を相対的に弱くすること)だと思います。そのためには、競争の激化、インターネットの活用(情報収集やクチコミ評価)などが有効な手段になるだろう思います(私も医者にかかるときは顧客として事前の情報収集などを心掛けています)。


それから、消費者契約法という民法の特別法があって、これは、エステ、通信講座、保険、病院などの様々な事業者に対して消費者を保護する(例えば、事業者の不実告知に基づいて契約をしたときは契約を取り消して支払った費用を返還させる、消費者に一方的に不利な契約条項を無効とする)ために活用されていますが、弁護士などに依頼した消費者(一般個人)の保護のためにも適用され得ると思います(弁護士なども同法の「事業者」に含まれると思いますので)。





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2009年12月21日

店舗で得意客を検知して知らせるシステム



2009/12/20京都新聞の記事:顔認証で特定人物検出 オムロン、接客向上や防犯に活用



特定人物の顔をリアルタイムで検出して知らせる業界初のシステムをオムロンが開発した。防犯や接客サービス向上に活用できるといい、小売店やホテル、福祉施設など向けに関連機器を来年1月18日に発売する。



顔認識システムは既に、空港で旅行者の顔を撮影して犯罪者の顔写真データベースと自動照合してテロ犯人などを検出する目的などで導入されていますので、店舗の得意客を判別することくらいは容易なことでしょう。


これが利用されると、お客の側も、しばらくぶりに行ってみたら忘れられてたなどのちょっと寂しい思いをしなくて済むようになるかも知れませんね^^;


万引き常習者やクレーマーの顔を記憶しておいて、そういう人たちが来店したら直ちに検出し警報を出して店舗側が警戒態勢を敷くという使い方はニーズが強いとは思いますが、プライバシー保護との関係で問題もありそうです。


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2009年12月12日

金融機関の高額賞与に特別税



2009/12/12毎日jp:フランス:金融機関の高額賞与に特別税 英国に追随へ



 フランスのサルコジ大統領は11日、ブリュッセルの欧州連合(EU)首脳会議後の記者会見で、銀行など金融機関の高額賞与に特別税を課す方針を表明した。 英政府が既に、2万5000ポンド(約360万円)を超える賞与を支払う銀行には、超過額の50%相当を納税させる方針を示しており、フランス政府も追随した形。同大統領は「ドイツ政府も前向きだ」と述べ、各国政府に共同歩調を働き掛けていく方針を示した。 会見で同大統領は「例外的、一時的な措置」であることを強調。「課税は懲罰ではなく、(賞与の抑制を促し)銀行の資本を強化するための措置だ」と述べた。



サルコジ大統領は「課税は懲罰ではなく、(賞与の抑制を促し)銀行の資本を強化するための措置だ」と言ってますが、公的資金による救済が行われた銀行業界で高額の賞与が支払われることへの国民の強い反発が背景にあると他の記事にありました。


金融業界に限らず、テレビ局などのメディア業界やそれに関わる広告業界などでも、製造業などと比べると高額の給与や賞与が支払われているのは何故なのか、例えば同じ経理の仕事をしているのに、メーカーと金融・マスコミ・広告という業界の間で給与に大きな開きがあるのは何故なのか、素朴な疑問があります。


例えば、日本では公共物である電波の周波数が国からテレビ局に不当に安い使用料だけで割り当てられているという批判がありますが、そうだとすれば、その分だけ国民財産からテレビ局へ所得移転が行われている、それがテレビ局社員の高額給与の原資の一つになっているのでは、という解釈も成り立つと思います(なお、最近の、欧米諸国で行われている電波オークションを日本にも導入したらという議論は、理論的にはテレビ局などへの既存の割り当て枠をもオークションの対象とすべきだが、それはさすがに政治的に無理なので、これからの新規の事業者への周波数割り当てについてだけ導入しよう、という議論のようです。参考)。


少し前から、派遣・契約社員の経済的困窮(正規社員と非正規社員の間での待遇格差)の関係で、同一企業内での同一労働同一賃金が主張されていますが、複数の業界の間での同一労働同一賃金の実現も検討した方がよいのではと、この記事を見ながら感じました。


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2009年12月11日

電子書籍端末



2009/12/10 日経記事:米アップル、電子書籍対応の新型端末 10年春にも発売



 米アップルが来年春にも高機能携帯電話「iPhone(アイフォーン)」より画面が大きく、電子書籍にも対応する新型端末を発売する見通しとなった。・・・小型パソコン「ネットブック」並みの10.1型の液晶画面を備え、「アイフォーン」同様にタッチ操作が可能という。・・・電子書籍端末の全世界累計の普及台数は約300万台で、アマゾン・ドット・コムの「キンドル」が独走。「iPod」で楽曲流通の主役の座をCDから奪ったアップルだけに、電子書籍端末でも市場の勢力図を塗り替える可能性がある。(シリコンバレー=岡田信行)



私は最近は本はほとんど買ってなくて(専門書はたまに買いますが)、買いたいなと思った本はアマゾンでカスタマレビューを読んで、それで「なるほどねぇ」ともう何だか読んだ気になってしまって、そのまんまというパターンです^^;


どうも物体としての本を買うことに躊躇してしまう(保管や処分などから?)という面もあるのかなと思います。電子書籍端末になれば、書籍代(データ料)も安くなるでしょうし、手軽に本を読んでみようという気になるかもしれないとも思います。


ちょっと調べてみたら、電子書籍端末は2003年夏に日本でパナソニックが「シグマブック」という2画面見開き型の読書端末を出したのが初めで、その翌年の2004年春にソニーも日本で「リブリエ」を出しましたが、どちらも少し話題になっただけで売れないまま撤退したようです(ソニーは2006年秋から米国で発売した「リーダー」を今も販売中)。


その日本で初めて発売されてから4年後の2007年秋に、アマゾンが米国で売り出した「キンドル」(通信ダウンロード機能付き)が、今、あれだけ売れているというのは皮肉ですが、日本と米国では市場環境が違う(日本ではケータイが便利になり過ぎてて読書専用端末の居場所がない)という面もあるようです。


それが、今度はアップルも来春から新端末を掲げて参入となると、もう勝負あったという感じですかね。


どうも、塁には出るが点に結びつかないという「ちぐはぐさ」が最近の日本の電機メーカーに目立ちますが、実力の問題もあるとしても、運が悪かったという面も確かにあるのかな〜と思います。


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2009年12月08日

みずほ証券誤発注事件の東京地裁判決



毎日jpの記事:みずほ証券誤発注:賠償訴訟 対応怠り「重過失」 東証に賠償命令−−東京地裁判決から。



 株の誤発注で損失が拡大したのは東京証券取引所(東京都中央区)のシステムに問題があったためとして、みずほ証券(千代田区)が東証に約415億円の賠償を求めた訴訟の判決で、東京地裁は4日、約107億円の支払いを命じた。松井英隆裁判長は「異常な売買状況を認識し得た時点で、売買停止措置を取るべきだった」と賠償責任を認定した。(中略)


 続いて、「故意か重大な過失がない限り免責される」との東証の規定に該当するかを検討。誤発注から5分29秒後にジェイコム株の取引成立数が発行済み株式数の3倍を超える異常な状況にあり、東証は決裁や操作に要する時間を考慮しても、その約1分半後には売買停止措置を取るべきだったと指摘。「市場への影響の重大さを容易に予見できたのに、漫然と見過ごした。故意に近い著しい注意義務違反」として重過失に当たると判断した。



この東京地裁判決によると、誤発注の取引開始から約7分以降は、誤発注による約定株式数が発行済み株式の3倍を超えており、東証はそのような異常な状況を認識しており、売買を停止することができたのにそれをしなかったのは東証に重過失があるとして、その時点以降に生じた損害の7割の賠償責任を東証に認めました。この7分経過以前の損害については、重過失はない(軽過失があるだけ)として責任を認めませんでした。


もし、「故意か重大な過失がない限り免責される」との東証の規定が無かったら、誤発注による取引開始から約7分経過する以前の損害についても、軽過失はあるとして、過失割合により例えば損害の3割くらいの賠償責任が認められた可能性はあるでしょう。


それにしても、「1株を61万円で売却」を「61万株を1円で売却」と入力ミスしたなんてのは、昔のアナログ時代なら、TVドラマなどで、「新入社員の微笑ましいミス」で、「ドジで人間味のあるヤツ」というような暖かい目線で描かれててもおかしくなかったと思います。


それが、デジタル時代になって、昔なら微笑ましかった?ミスやドジが一瞬にして取り返しのつかない致命傷となってしまうとは、恐ろしい世の中になったもんだと思います(まぁ、裁判所によれば「重大な過失」とされてますが)。


これは、一般の会社員も「プロ」としての仕事を要求される時代とも言えるのでしょうね。


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2009年12月07日

理系の論理と文系の論理



仕分け結果で公開議論 行刷会議が検討、要求官庁側との日経記事から一部引用。



 政府の行政刷新会議(議長・鳩山由紀夫首相)は11月に実施した2010年度予算の概算要求の無駄を洗い出す「事業仕分け」の結果を巡り、要求官庁側と公開で議論する場を改めて設ける方向で調整に入った。国会議員の仕分け人らが「廃止」などの判定の根拠を説明し、要求側に反論する機会を与える形で、週明け以降の開催を想定する。仕分け結果には科学者らも反対していた。



特許の仕事はもともと理系(工学)と文系(法律)の間を行き来するものですが、理系が使う論理と文系が使う論理とに違いがあるとは思えませんし、あってはならないと思います


理系と文系の両者を結ぶほぼ唯一のものが論理ではないかと思います。


スパコン(スーパーコンピュータ)予算の見直し結果などについてノーベル賞受賞の科学者などからの批判も出ているようですが、同じ論理という土俵の上で、科学者、政治家、官僚などがさらに議論して、共通の認識をもった上で、妥協できる結論に至るようにして欲しいと思います。


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2009年12月05日

メディアの生きる道?



新聞を初めとするメディアの苦境について、池田信夫さんがアゴラの記事で分析しています(以下に引用)。



これはメディア産業にとって、悪い話ばかりでもありません。新聞のコストの4割は販売経費であり、残りの半分以上も印刷機などのインフラや管理部門で、記者は社員の1/4程度しかいない。その半分近くも整理部などの間接部門で、記事を書く記者は1000人もおらず、そのほぼ半分が地方支局に勤務しています。ウェブベースに移行すれば、インフラのコストはゼロに近く、レイアウトに労力を費やす必要もなく、もちろん販売経費はゼロです。記者の人件費だけなら、ウェブメディアで回収できる可能性はあります。



上の記事からは、要するに、新聞の全コストの中の「記者(この中で、レイアウト担当などの、記事を書かない記者は半分)の人件費」はざっくり1/4くらい、「記事を書く記者の人件費」は1/8くらいなので、記事を書く記者だけにすればWebベースに移行しても回していけるということのようです。


ただ、そうなると、記事を書く記者以外の7/8の社員、輪転機などの設備、販売・宅配網は必要なくなり、売上げも1/8くらいになるのでしょう。


少し前から言われている4割経済に現実味を感じますね。


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