ここ1ヶ月以上更新をサボってました・・・。
さっき本屋で週刊現代を立ち読みしただけで細かく覚えてないのですが、60歳を過ぎてユダヤ教に改宗したという日本人の国際弁護士(追記:石角完爾さん)の話しが面白かったです。
ユダヤ民族は5千年の歴史を持っていて、古代のモーゼに導かれた出エジプトから第二次世界大戦の後(1948年)のイスラエル建国まで、ユダヤ人は国家を持たない流浪の民としてヒトラーのホロコーストなど民族的迫害を受けてきました(なお、この何千年に及ぶ流浪の過程で血統などの民族的な属性はほとんど失われているため、ユダヤ民族という言葉ではなく、
ユダヤ教を信仰する者とユダヤ教を信仰する女性から産まれた者という意味でのユダヤ人という言葉が使用されているようです)。
世界の全人口68億人の中で、ユダヤ人は約1,500万人で、たったの0.2%(その中、約6割がイスラエルではなく世界中にちらばって生活している)。それなのに、今までの全てのノーベル賞受賞者の約3割はユダヤ人だそうです(アインシュタインなど)。
また、米国の全人口(3億人)の中でユダヤ人はわずか2%ですが、米国の大学院生の約3割はユダヤ人だそうです。
なぜ、ユダヤ人はこんなに優秀なのか。
それは、この国際弁護士によると、ユダヤ人のあらゆることを疑う姿勢からきているのだろうということです。
ユダヤ人は、全てを、神の存在や聖書に書かれていることさえも、論理的に疑い、問い続けるそうです(追記:例えば、全知全能の神ならば神でも動かせない岩を作れるはず、だとすれば、そのような岩を作れば神でも動かせない、とすれば、神は全知全能ではないなどの三段論法が、食卓で真剣に議論されるそうです)。
これは、発明でも同じではないでしょうか。
全てを根本から疑うこと、問い続けることから、いろんなことの課題や問題が発見できるのだと思います。
発明も、新たな課題や問題の発見から始まったものは根本的で本質的な発明になりやすいと思います。
周知の既存の課題や会社から与えられた課題を解決した発明にも、社会的に大きなインパクトのある発明はあります(例えば、ターゲットとする薬効が有りそうな物質をしらみつぶしに探して薬効が確認できたらそれを「○○剤」という用途発明として出願する場合など)が、根本的・本質的な発明とは言えない場合が多いと思います(まぁ根本的・本質的な発明とは何かの定義によりますが・・・)。
常に基本的なことを疑い問題にする姿勢が、課題を発見するためには必要なのだろうと思います。
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さっき本屋で週刊現代を立ち読みしただけで細かく覚えてないのですが、60歳を過ぎてユダヤ教に改宗したという日本人の国際弁護士(追記:石角完爾さん)の話しが面白かったです。
ユダヤ民族は5千年の歴史を持っていて、古代のモーゼに導かれた出エジプトから第二次世界大戦の後(1948年)のイスラエル建国まで、ユダヤ人は国家を持たない流浪の民としてヒトラーのホロコーストなど民族的迫害を受けてきました(なお、この何千年に及ぶ流浪の過程で血統などの民族的な属性はほとんど失われているため、ユダヤ民族という言葉ではなく、
ユダヤ教を信仰する者とユダヤ教を信仰する女性から産まれた者という意味でのユダヤ人という言葉が使用されているようです)。
世界の全人口68億人の中で、ユダヤ人は約1,500万人で、たったの0.2%(その中、約6割がイスラエルではなく世界中にちらばって生活している)。それなのに、今までの全てのノーベル賞受賞者の約3割はユダヤ人だそうです(アインシュタインなど)。
また、米国の全人口(3億人)の中でユダヤ人はわずか2%ですが、米国の大学院生の約3割はユダヤ人だそうです。
なぜ、ユダヤ人はこんなに優秀なのか。
それは、この国際弁護士によると、ユダヤ人のあらゆることを疑う姿勢からきているのだろうということです。
ユダヤ人は、全てを、神の存在や聖書に書かれていることさえも、論理的に疑い、問い続けるそうです(追記:例えば、全知全能の神ならば神でも動かせない岩を作れるはず、だとすれば、そのような岩を作れば神でも動かせない、とすれば、神は全知全能ではないなどの三段論法が、食卓で真剣に議論されるそうです)。
これは、発明でも同じではないでしょうか。
全てを根本から疑うこと、問い続けることから、いろんなことの課題や問題が発見できるのだと思います。
発明も、新たな課題や問題の発見から始まったものは根本的で本質的な発明になりやすいと思います。
周知の既存の課題や会社から与えられた課題を解決した発明にも、社会的に大きなインパクトのある発明はあります(例えば、ターゲットとする薬効が有りそうな物質をしらみつぶしに探して薬効が確認できたらそれを「○○剤」という用途発明として出願する場合など)が、根本的・本質的な発明とは言えない場合が多いと思います(まぁ根本的・本質的な発明とは何かの定義によりますが・・・)。
常に基本的なことを疑い問題にする姿勢が、課題を発見するためには必要なのだろうと思います。
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