2010/7/21 京都新聞 龍馬切手、販売中止に「無許可使用」?で郵便局会社
下は「おりょうの写真を印刷した切手」の写真(上の京都新聞の記事より引用)。

絵画などでも同じですが、著作物性のある写真を撮影した著作者は、次の3つの権利を原始取得します。
(1)無体物(著作物)としての写真についての著作権
(2)無体物(著作物)としての写真についての著作者人格権
(3)有体物(紙)としての写真(作品)の所有権
上記(3)の所有権は、その写真を紙に印刷したとき、つまり有体物としての写真(紙)が生成されたときに発生します。今のデジカメで、画像のデジタルデータを記録媒体に保存するだけの場合は、保存したときに、その2進法による記号を示すデータの電子的物理的記録状態についての所有権もしくは管理権というようなものを原始取得するのだろう思います。
上記の(1)無体物(著作物)としての写真の著作権と、(2)無体物(著作物)としての写真の著作者人格権と、(3)有体物(紙)としての写真(作品)の所有権とは、互いに別物で、互いに無関係に、別々に譲渡されたり((3)の著作者人格権は譲渡不可)、消滅したりしますので、それぞれを別々に見る必要があります。
例えば、写真の著作者が(1)の写真(無体物)の著作権を自己に留保しながら(3)の写真(有体物の作品)の所有権だけを他人に売却したら、以後は、(1)の写真(無体物)の著作権と(3)の写真(有体物の作品)の所有権とはそれぞれバラバラに別々の人が保有・管理することになります。また、写真(無体物)の著作者または第三者が写真(有体物の作品)を焼失してしまったら、(3)の写真(有体物の作品)の所有権は対象(権利客体)が無くなるので消滅しますが、そのこととは無関係に(1)の写真(無体物)の著作権は著作者の死後50年間存続します。また、写真(無体物)の著作者が死亡すると(2)の著作者人格権は消滅します(但し、著作者の死後の人格的利益の保護を定めた著作権法60条はあります)が、(1)の著作権は著作者の死後50年間存続します。
上の「坂本龍馬の妻おりょうとみられる写真をあしらった切手」について「写真所有者の許可を得ていないのでは」との指摘があったので、郵便局会社が販売を一時中止したという記事について考えてみます。
(1)の「無体物(著作物)としての写真の著作権」については、「おりょう」の写真を撮った幕末の時代からは既に150年くらい経過しており、著作権は既に消滅していることは明らかなので、少なくとも著作権侵害が生じる可能性はないと思います。
(2)の「無体物(著作物)としての写真の著作者人格権」については、著作者人格権は著作者の死亡により消滅しますが、著作権法60条が、著作者が亡くなった後でももし生存していればその著作者人格権の侵害となるような行為をしてはならないと規定していることから、問題が生じる可能性はあります。しかし、著作権法60条で問題になるのは主に、著作者がもし生きていたらその意に反するような改変(同一性保持権の侵害)や公表の場合であり、本件では、撮影された写真の「改変」はないので(「公表」が意に反するかは分かりませんが)、著作権法60条違反の問題が生じる可能性は極めて低いと思います。
(3)の「有体物(紙)としての写真(作品)の所有権」については、そもそも作品の所有者というだけでは(著作権はないため)コピーをコントロールする権利(複製権)は持っていないので、切手への写真の印刷について文句を言うことはできないはずです。ただ、郵便局会社側が本件の写真のデータをどのようにして取得したのか、所有者の写真(紙)を無断で一時的に占有侵害して撮影した(この場合は広い意味での窃盗に該当する可能性もある)とか所有者との契約に違反して写真データを消去せずに保管していたなど、そのデータ取得過程で違法行為が介在したのではないかという疑念も、ほとんどないでしょうが全く無いとも言い切れない訳で、とすれば、とりあえず販売中止にして写真(作品)の所有者と話し合ってみよう、という今回の郵便局会社の方針は、妥当なものではないか、と思います。
追記: 原作品の所有者が有する、原作品に表現されている著作物の複製に関する権利を「物のパブリシティ権」として議論する人もいるようで、その方が分かりやすいでしょう(物のパブリシティ権は認めないのが判例ですが)。
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郵便局会社近畿支社(大阪市)は21日、京都市内の109郵便局でオリジナルフレーム切手「龍馬が駆け抜けた町 京都・伏見」の販売を中止した。坂本龍馬の妻おりょうとみられる写真をあしらった切手について「写真所有者の許可を得ていないのでは」との指摘があったためだ。郵便局会社側は「印刷会社が問題がないと報告しているので、切手発行は問題ない」としながらも、対応を検討するため販売を中止したという。
下は「おりょうの写真を印刷した切手」の写真(上の京都新聞の記事より引用)。

絵画などでも同じですが、著作物性のある写真を撮影した著作者は、次の3つの権利を原始取得します。
(1)無体物(著作物)としての写真についての著作権
(2)無体物(著作物)としての写真についての著作者人格権
(3)有体物(紙)としての写真(作品)の所有権
上記(3)の所有権は、その写真を紙に印刷したとき、つまり有体物としての写真(紙)が生成されたときに発生します。今のデジカメで、画像のデジタルデータを記録媒体に保存するだけの場合は、保存したときに、その2進法による記号を示すデータの電子的物理的記録状態についての所有権もしくは管理権というようなものを原始取得するのだろう思います。
上記の(1)無体物(著作物)としての写真の著作権と、(2)無体物(著作物)としての写真の著作者人格権と、(3)有体物(紙)としての写真(作品)の所有権とは、互いに別物で、互いに無関係に、別々に譲渡されたり((3)の著作者人格権は譲渡不可)、消滅したりしますので、それぞれを別々に見る必要があります。
例えば、写真の著作者が(1)の写真(無体物)の著作権を自己に留保しながら(3)の写真(有体物の作品)の所有権だけを他人に売却したら、以後は、(1)の写真(無体物)の著作権と(3)の写真(有体物の作品)の所有権とはそれぞれバラバラに別々の人が保有・管理することになります。また、写真(無体物)の著作者または第三者が写真(有体物の作品)を焼失してしまったら、(3)の写真(有体物の作品)の所有権は対象(権利客体)が無くなるので消滅しますが、そのこととは無関係に(1)の写真(無体物)の著作権は著作者の死後50年間存続します。また、写真(無体物)の著作者が死亡すると(2)の著作者人格権は消滅します(但し、著作者の死後の人格的利益の保護を定めた著作権法60条はあります)が、(1)の著作権は著作者の死後50年間存続します。
上の「坂本龍馬の妻おりょうとみられる写真をあしらった切手」について「写真所有者の許可を得ていないのでは」との指摘があったので、郵便局会社が販売を一時中止したという記事について考えてみます。
(1)の「無体物(著作物)としての写真の著作権」については、「おりょう」の写真を撮った幕末の時代からは既に150年くらい経過しており、著作権は既に消滅していることは明らかなので、少なくとも著作権侵害が生じる可能性はないと思います。
(2)の「無体物(著作物)としての写真の著作者人格権」については、著作者人格権は著作者の死亡により消滅しますが、著作権法60条が、著作者が亡くなった後でももし生存していればその著作者人格権の侵害となるような行為をしてはならないと規定していることから、問題が生じる可能性はあります。しかし、著作権法60条で問題になるのは主に、著作者がもし生きていたらその意に反するような改変(同一性保持権の侵害)や公表の場合であり、本件では、撮影された写真の「改変」はないので(「公表」が意に反するかは分かりませんが)、著作権法60条違反の問題が生じる可能性は極めて低いと思います。
(3)の「有体物(紙)としての写真(作品)の所有権」については、そもそも作品の所有者というだけでは(著作権はないため)コピーをコントロールする権利(複製権)は持っていないので、切手への写真の印刷について文句を言うことはできないはずです。ただ、郵便局会社側が本件の写真のデータをどのようにして取得したのか、所有者の写真(紙)を無断で一時的に占有侵害して撮影した(この場合は広い意味での窃盗に該当する可能性もある)とか所有者との契約に違反して写真データを消去せずに保管していたなど、そのデータ取得過程で違法行為が介在したのではないかという疑念も、ほとんどないでしょうが全く無いとも言い切れない訳で、とすれば、とりあえず販売中止にして写真(作品)の所有者と話し合ってみよう、という今回の郵便局会社の方針は、妥当なものではないか、と思います。
追記: 原作品の所有者が有する、原作品に表現されている著作物の複製に関する権利を「物のパブリシティ権」として議論する人もいるようで、その方が分かりやすいでしょう(物のパブリシティ権は認めないのが判例ですが)。
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