2010年04月25日

「BOOKSCAN(ブックスキャン)」サービスと著作権法30条(私的使用目的)

1冊100円で書籍を PDF 化する、低価格スキャンサービス「BOOKSCAN」がサービス開始

2010年4月19日、1冊100円で書籍を PDF 化するサービス「BOOKSCAN(ブックスキャン)」の提供を開始した。
BOOKSCAN は、書籍を一冊100円で裁断し、スキャナーで読み取った後、PDF 化するサービス。「本が好きだけど、本棚はいっぱいだし、本をたくさん買いたいのに 場所的に置く場所がなくて困ってる」というユーザーをターゲットとしている。
利用者は会員登録後、書籍を送付し、1ページづつスキャン、全ページ PDF 化したデータをメールもしくは CD-R/DVD-R 形式で納品する。裁断後に読み取り完了した書籍は、廃棄処分される。


少し前の記事ですが、この「BOOKSCAN」について、小飼弾さんのように合法だという意見もありますが、著作権法的にクロだという意見がネットでは多いので、自分なりに少し検討してみます。
まず、著作権法30条1項は、著作物の私的使用(個人的家庭的使用)を目的とする複製は適法としていますが、ただし「自動複製機器」(同30条1項1号)を用いて複製する場合はその例外として違法だとしており、「業者のスキャナ」はこの「自動複製機器」に該当するので違法だとする意見があります。

しかし、この業者のスキャナが「自動複製機器」であるから違法だとすると、コンビニに設置してあるコピー機も同じく違法(私的使用目的でコピー機を用いて複製した者は同119条1号括弧書きで不可罰だが違法であり、コピー機の設置者は同119条2号で可罰的違法)ということになってしまいそうです。ただ、中山信弘「著作権法」をみると、これにはまたまた例外があって、著作権法の附則5条の2で「当分の間、30条1項1号の『自動複製機器』には、『文書又は図画の複製に供するもの』は含まないものとする」と規定されていますので(こう何回も例外があるとおちょくられてる感じになりますが^^;)、結局、使用者も設置者も、民事・刑事とも責任なし、となるようです。

ではこういうサービスは適法かとなると、そうではありません。栗原潔さんが当初から指摘されてますが、同30条1項は(私的使用目的の場合は)「その使用する者が(=著作物を使用する者が)複製することができる。」としているだけなので、「使用する者」ではなく「代行業者」が複製した場合は複製権侵害になる、ということです。つまり、この「使用する者」には、本人以外の本人と同一視できる補助者(子どもの家族とか身体障害者の補助者など)は含まれるが代行業者は含まれないというのが通説的見解のようです。よって、(書籍を裁断したものを)「業者がスキャナーで読み取る」ことは、同30条1項に該当しないので、複製権の侵害になる、ということです。

なお、以上は一般論ですが、この「BOOKSCAN」そのものは完全に合法と思います(きちんと運用すれば)。
というのは、この「BOOKSCAN」のプレスリリースを見ると、次のように書かれており、事前に弁護士と綿密に打ち合わせてるのではないかと予想されます。

1.スキャン可能な書籍かどうかご確認後、お申し込み頂きます。
2.冊数・オプションに応じた金額を、クレジットカード決済にてご入金頂きます。
3.書籍をダンボールにつめ、ブックスキャン宛に発送して頂きます。
4.ブックスキャンに到着後、スキャン完了日時をご連絡致します。その後書籍を裁断しスキャンした後PDF化致します。
5.PDF化されたデータは、メールにダウンロード頂けるURLを記載するか、CD-R(オプション)で納品致します。
6.お客様へPDFデータが到着後、さまざまなPDFリーダー等で閲覧頂けます。

このように、このサービスでは、「スキャン可能な書籍」であること、つまり「著作権がクリアされている書籍」(例えば著作権切れ、著作権フリー、著作権者の許諾済みなど)であることがサービス申し込みの条件となっています(「スキャン可能な書籍」とは、スキャンが物理的に可能なだけでなく法的にも可能であるような書籍、と解釈すべきでしょう)。その確認ができない場合は申し込みを受けないというつもりなのだと思います。また、その確認を厳密にした上で受けた場合は、後で実は違法だった(例えば顧客が著作権者の許諾文書を偽造してウソをついていたなど)となっても、故意はもちろん過失による賠償責任も免れる可能性は十分あります。
なお、このような面倒くさいサービスが100円というのは経営的に割に合うのかなとも思いましたが、会社の話題作りとか他のメリットも考えてるんでしょうね。
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posted by mkuji at 19:55| Comment(6) | TrackBack(0) | 著作権

2010年04月18日

裁判員制度と民主主義



東京新聞 2010/4/18 週のはじめに考える 変容する“盆栽司法”


有罪であることの確認から有罪か無罪かの判定へ−日本の司法文化が変わり始めました。多くの国民が意識を転換して変革の一翼を担いたいものです。(中略)
別の刑事法学者は有罪率99%という実態をもとに「日本の裁判所は有罪であることを確認するところだ」と嘆きました。(中略)  

日本では疑わしい人を起訴して裁判にかけるかどうかの権限は検察官が握り、原則として検察官の積極的判断がなければ刑事責任を追及できません。その検察官は慎重で、有罪判決が確実と考えられなければ起訴しません。(中略)
欧米では「有罪の見込みが51%あれば起訴せよ」と言われるほどです。捜査機関という密室で事件に終止符を打つのではなく、開かれた場である法廷で決着をつけるべきだとの考えからです。そのかわり無罪になる率は高く、40%に達することもあるといわれます。
日本の検察が起訴を絞るのは、起訴された被告人の負担がとても重いからでもあります。心労、仕事や社会生活への支障、弁護料その他の経済的負担…無罪になっても取り返しはつきません。
市民感覚の反映で起訴の幅を広げるだけでなく、被告人の負担を軽くする工夫が必要です。(中略)
有罪判決が確定するまではあくまでも被告人を無罪として扱うよう、意識転換しなければなりません。(中略)
正義はあらかじめ決まっているもの、あるいは誰かに決めてもらうものと考えがちですが、自分たちで決めることが憲法の大原則である「国民主権」にかないます。

最近も検察報道についての反省を書いていた東京新聞の社説ですが、今の日本で「有罪の見込みが51%あれば起訴せよ」となると大変なことになるでしょうね。今の日本では起訴どころか逮捕されたり新聞に報道されただけで、人間関係・信用・職などを含む極めて大きなものを失ってしまうので。

「有罪の見込みが51%あれば起訴せよ」を実行するためには、この社説も書いてるように、有罪判決が確定するまでは無罪と扱うこと、判決までの期間を数ヶ月程度に短くすること、優秀な国選弁護士に低額で依頼できて裁判中も日常生活に支障が出ないようにすることなどが必要と思います。

少し前、陪審制について調べたことがあったのですが、裁判員制度の参考とされた米国の「陪審制」は、歴史的に、「検察官や、検察官に迎合的なあるいは偏った裁判官に対する防御壁」として位置付けられていたそうです(ウィキペディアより)。つまり、民主主義の理念は「人民の、人民による、人民のための統治」というものですが、この中の「人民による」という部分は、「自分たちのことは自分たち自身(自分たちの代表である議員を含む)で決めるべきだ、たとえその結果が失敗に終わったとしても、自分たちの代表ではない者(官僚や職業裁判官)に決めてもらうよりはましだ」という考え方を示しているのですね。そして、この考え方を司法にも貫徹したのが米国の陪審制でした。

これに対して、今までの日本の司法制度は、「自分たちのことを、自分たちの代表ではない(選挙で選んだのではない)職業裁判官に決めてもらう、自分たちや自分たちの代表が決めるよりも、司法試験に合格した優秀な職業裁判官(=お上)に任せた方が、より正しい決定をしてもらえる」という考え方に基づくもので、「人民による統治」とは逆の考え方に基づくものだった、と思います。
だから、裁判員制度は「人民による統治」を裁判にも貫徹しようとするもので望ましい方向と思います。

ただ、裁判員制度にも問題があるとされています。それは、司法は、政治や行政の多数決原理では不利になってしまう少数者を救済するという役割をもつのですが、民主主義(多数決原理)をストレートに裁判に持ち込むとそれが失われてしまうということです。
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posted by mkuji at 23:21| Comment(2) | TrackBack(0) | 雑談

2010年04月14日

ライセンシーにより販売された部品の特許の「消尽」と完成品特許(又は方法特許)の侵害の成否

米Quanta事件最高裁判決などの関係で、ある部品(部材)がその部品特許(部材特許)のみのライセンシーにより販売されたとき、その部品(部材)についての特許が「消尽」するのは当然とした上で、その部品(部材)を購入した第三者が、その部品を必須とする完成品の販売(又はその部材を必須の素材や道具とする方法の実施)を行った場合に、ライセンサーの完成品特許(又は方法特許)の侵害となるかどうか(その完成品特許又は方法特許も消尽するのか否か)、がいろいろ議論されています。

すなわち、「完成品特許や方法特許の間接侵害になるような、その完成品や方法に用いられる物(間接侵害品)」が許諾を得て販売された場合に、つまり、「もし他人が無許諾でそれを売ったら間接侵害となるような部品や方法に用いる部材」を、特許権者や許諾を受けた者が販売した場合に、完成品特許や方法特許までもが消尽するのか? が問題にされています。以下は日本法の下での議論です(米国でもほぼ同じ結論ですが)。

次の事例で考えて見ます。
特許クレームが次の3つとします。
請求項1 ○○から成る部品a(又は部材b)
請求項2 部品aを必須とする(部品aのみが特徴となっている)完成品A
請求項3 方法の実施のために部材bを必須の道具とする(部材bのみが特徴となっている)方法B

そして、特許権者(ライセンサー)が、請求項1の部品a(又は部材b)の特許のみを、他人にライセンスしていた場合において、その他人(ライセンシー)から部品a(又は部材b)を譲り受けた第三者が、その部品a(又は部材b)を使用して完成品Aを製造したり方法Bを使用したとき、特許権者は、その第三者に対して「完成品特許又は方法特許の侵害」として差止め等の請求ができるか?

つまり、第三者が、請求項1の部品a(又は部材b)の特許のみの許諾を受けたライセンシーから、部品a(又は部材b)を譲り受けたとき、その段階で、請求項1の部品a(又は部材b)の特許が「国内消尽」するだけでなく、請求項2の完成品の特許や請求項3の方法発明の特許も「国内消尽」するのかどうか? という問題です。
これについては、間接侵害品(完成品特許における部品a、又は、方法特許における方法に使用する道具である部材b)が実質的に完成品特許や方法特許の本体部分となっているのなら、特許権者又はライセンシーによる間接侵害品(部品a又は部材b)の販売により完成品特許や方法特許も消尽する、とする立場が日本でも有力です(部品(部材)と完成品(方法)とは本体部分が同一なのだから、それぞれについてライセンス料をとることは二重取りになる等の理由。「パテント」2009年11号第112頁等参照)。
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posted by mkuji at 22:21| Comment(3) | TrackBack(0) | 特許侵害

2010年04月09日

今必要なのは「芸術型イノベーション」(遊び心による発明)か?

池田信夫blog 2010/3/20 イノベーションとは何ではないか

経営者はイノベーションを、マーケティング調査→社内のコンセンサス→技術開発→製造・販売という単線的なサイクルで考えるが、それは神話だと本書は断定する。

たとえば、かつて洗剤の史上最大のヒット商品となった花王の「アタック」は、小型の洗剤が売れるというマーケティングによって開発された製品ではなかった。当初の宣伝コピーは、酵素を使って「バイオが白さを変えた」というものだったが、いつも重い洗剤の箱を持ち帰る主婦が、その半分以下の重さですむアタックに飛びついたのである。

開発者も驚くようなイノベーションは、このようにマーケティングと関係なく生まれることが多い。特にIT機器やサービスになると、その傾向が強い。ITというのは基本的に生活必需品ではないので、iPodにせよFacebookにせよ、ブランドイメージやセンスなどの意味的な要因でヒットするものが多い。


いま必要なのは、市場の要望を組織的に「帰納」する論理実証主義型マーケティングではなく、個人が仮説を立てて市場に提案する芸術型イノベーションだ
、と著者はいう。そこには決まった手順も多くの人々のコンセンサスもなく、一人のアーティストが一貫した意味を創造することが重要だ。それが市場に受け入れられるかどうかはやってみないとわからないが、プレゼンテーションのセンスまで含めてイノベーションなのである。

池田信夫さんが2010/3/20付けブログで、「マーケティングの神話」(石井淳蔵著)という本の「いま必要なのは、市場の要望を組織的に「帰納」する論理実証主義型マーケティングではなく、個人が仮説を立てて市場に提案する芸術型イノベーションだ」という見解を紹介されています。http://ikedanobuo.livedoor.biz/archives/51393680.html

この記事を読んで、イノベーション(革新)つまり発明(技術に限らない広い意味での革新的アイデア)には、次のような3つのタイプがあると思いました。

(1)シーズ主導型の発明
科学的発見などのシーズから出発して(後述のように途中で偶然に助けられたりして)できる発明です。例えば超伝導物質の発見などがあって、「それをどこに応用したら良いか」という視点からの発明です。薬剤など用途発明に分類されるものが多いでしょう。
このタイプには、「(偶然の)発見」によって「(帰納や演繹の論理によらない)偶然できた発明」というのも多いですね。育毛剤の「リアップ」は、もともとは高血圧の薬だったけど、たまたま、それを飲んでいた人たちの中に頭髪が増えた人がいるという現象が発見されて、それで育毛剤という用途発明ができたと聞いたことがあります。セレンディピティー(たまたま思いがけない事件や現象に遭遇してしまう能力)というやつですね。

(2)ニーズ主導型(マーケティング主導型)の発明
池田さんのブログにある、市場の要望を組織的に「帰納」する論理実証主義型マーケティングによる発明です。
「必要は発明の母」という、昔からある最もオーソドックスな発明の手法です。エジソンの発明などもほとんどこれですね。
そもそも、発明は「人々を幸せにするためのもの」ですので、人々の幸せのためのニーズ・必要を満たすのが発明の目的であり、それはいつの時代でも発明の王道だと思います。
広い意味では、24時間営業、ユニクロなどのSPA(製造小売)、100円ショップ、1000円理髪店などのビジネスモデルも、ニーズを捉えた斬新な発明と思います(100円ショップは、全て同一価格の100円として利便性を高め支払いを効率化した面を捉えるとニーズ型ですが、全て100円一律の店としたのは遊び心のある芸術型発明とも言えます)。すごく広い意味では、複式簿記、株式会社、憲法、共和制、公教育、民主主義、平等思想・・・などの諸制度や諸思想も、ニーズ主導型の発明と言ってよいと思います。

(3)遊び心主導型の発明=芸術型イノベーション(芸術型発明)
池田さんのブログ中の「一人のアーティストが一貫した意味を創造する」タイプのイノベーションです。
社会に対して「新しい価値・意味・面白さ」を提案するというものでしょう。典型的なのは、オセロゲームの発明などでしょうか(特許法的には自然法則の利用性がないので「発明」とはいえませんが)。任天堂による「家庭用テレビゲームによる遊び」の発明などもそうですね。「必要は発明の母」に対して「遊び心」による発明です。

すごく広い意味では、印象派、キュービズム、浮世絵、歌舞伎、茶道、華道、俳句・・・なども、遊び心による発明と言ってよいと思います。
ニーズ主導型か遊び心主導型か、どちらとも言えない発明も多いと思います(「ニーズ」という言葉をどこまで広く捉えるかによります。遊びが求められていることをもニーズと捉えれば芸術型も全てニーズ主導型になります)。主として、効率・節約・利便・快適などがキーワードになる発明はニーズ主導型、「複雑でもよい(効率化してなくてよい)、それ自体が面白ければ」という面が強い発明は遊び心主導型と呼ぶようにしたら、と思います。

iPod、Facebook、twitter、セカンドライフは、芸術型イノベーションの例とも言えますが、「どうせいつか誰かがやっていたはず」ということからは「ニーズ主導型」の面も強いと思います。グーグルの検索アルゴリズムPageRankの発明も「ニーズ主導型」ですね。
で、結局、今必要なのは「芸術型イノベーション」(遊び心による発明)か? ですが、豊かな社会になるとマスが分裂して「国民共通のニーズ」は無くなっていくので、ニーズ主導型の発明はどうしても「小粒」になっていくと思います。だから、大きなヒットを飛ばそうと思うと、遊び心主導型の芸術型イノベーションが有効になっていくのかなと思います。

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posted by mkuji at 11:36| Comment(2) | TrackBack(0) | 基本発明

2010年04月06日

退職後に競合会社を立ち上げて元の顧客から受注しても「自由競争の範囲を逸脱したものではない」(最高裁)



産経ニュース2010.3.25 退職後に競合会社、元の顧客から受注は「自由競争の範囲」最高裁



機械部品製造会社を退職した従業員が、競合する業種の会社を始め、元の勤務先の取引相手に営業し、受注した行為が不法行為にあたるかどうかが争われた訴訟の上告審判決で、最高裁第1小法廷(金築誠志裁判長)は25日、「自由競争の範囲を逸脱した違法なものとはいえない」との判断を示した。その上で、競合会社側に賠償を命じた2審名古屋高裁判決を破棄、元の勤務先側の訴えを退けた。


 同小法廷は「競合会社側が元の勤務先での人間関係を利用することを超えて、元勤務先の秘密情報を使ったり、信用をおとしめたりするなどの不法な方法で、営業活動を行ったとは認められない」と指摘した。



退職後に競合会社を起業したり競合会社に転職して、元の会社のときに知り合いだった顧客(名刺交換をするなどして交流があった顧客)に「よろしく」と営業をかけるのはよくあることなので、その程度のことは自由競争の範囲内だとしたものと思います。


これと違って、元勤務先の営業秘密である顧客リストを持ち出して、その顧客リストからDMを発送したなどの場合は、不正競争防止法違反(営業秘密の侵害)の不法行為を構成することになります。


企業側の対策としては、予め、経営幹部などに対して、退職後3〜5年程度の競業避止義務を誓約書の提出などで約束させておくことにより、退職して直ぐ競合会社に転職したり競業会社を起業したりすることを防止することができるでしょう。


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posted by mkuji at 09:13| Comment(3) | TrackBack(0) | 不正競争防止法

2010年04月04日

猫縫いぐるみ翻案事件(「複製」と「翻案」の定義など)



猫縫いぐるみ翻案事件判決(平成21年(ワ)6411号 著作権侵害差止等請求事件 同22年2月25日大阪地判)を斜め読みしました。http://www.courts.go.jp/hanrei/pdf/20100301160735.pdf


他人の「猫の縫いぐるみ(手作り)」と似た製品を勝手に販売したことが著作権侵害(複製権・翻案権の侵害)になるかどうかが争われたもので、よくありそうな事案ですね。


複製権及び翻案権の侵害と言えるためには、(1)依拠性と(2)類似性とが必要とされているのですが、この判決では、まず類似性を判断し、類似性はない、よって依拠性について判断するまでもなく著作権(複製権及び翻案権)の侵害はない、と結論付けています。


すなわち、この判決は、まず初めに、「複製」の定義を、過去の最高裁判例から次のように述べています(判決の17頁)。



著作物の複製(著作権法21条)とは,既存の著作物に依拠し,その内容及び形式を覚知させるに足りるものを再製することをいい(最高裁判所昭和53年9月7日第一小法廷判決・民集32巻6号1145頁参照),



また、この判決は、「翻案」の定義を、過去の最高裁判例から次のように述べてます(判決の17頁)。



著作物の翻案(著作権法27条)とは,既存の著作物に依拠し,かつ,その表現上の本質的な特徴を直接感得することのできる別の著作物を創作することをいう(最高裁判所平成13年6月28日第一小法廷判決・民集55巻4号837頁参照)。



その上で、判決は、次のように問題を設定しています。



本件において,原告は,被告各製品が原告各作品を複製又は翻案したものであるとして著作権侵害を主張しているところ,少なくとも被告各製品が原告各作品を翻案したと認められる程度に類似したものでなければ,複製権侵害が生じる余地もないのであるから,以下では,まず翻案権侵害の成否について検討することとする。



そして、判決は、この「翻案権侵害」の要件となる「原告作品と被告製品の類似性」の有無について、原告作品と被告製品を比較した上で、次のように、両者は類似していないから翻案権侵害も複製権侵害も成立しないとして、原告の請求を棄却しました。



そうすると,被告各製品からは,原告作品1群及び2群の本質的特徴を直接感得することはできないというべきであり,被告各製品は,原告各作品を翻案したと認められるほどに類似しているとは認められない。また,上記したところによれば,被告各製品が原告各作品を複製したものに当たらないことも明らかである。 5 よって,争点2(依拠性)について判断するまでもなく,被告各製品の製造販売は,原告の著作権(複製権及び翻案権)を侵害する行為とは認められない。



不正競争防止法違反(同法2条1項3号の「形態模倣」など)も争点になり得たのではとも考えられますが、判決が原告の縫いぐるみを「作品」と述べていることからみて、原告の縫いぐるみが「作品」であり「商品」でなかったのなら不正競争防止法は使えなかったと思います。


それと、原告作品(縫いぐるみ)が「量産可能性のある実用品」であることからすると原告作品の著作物性が争点になってもよさそうに思います(博多人形事件では「美術工芸的価値としての美術性」があるとして著作物性が認められましたが、ファービー人形事件では「純粋美術と同視できる程度に美術鑑賞の対象となるだけの審美性」が備わっていないとして著作物性が否定されました)。


しかし、この著作物性は争点にならなかったようです。その理由としては、(1)原告作品(手作りの縫いぐるみ)は「一品制作品」だった(量産品ではなかった)ので「美術工芸品」として美術の著作物に含まれる(著作権法2条2号)ことが明らかだったから、(2)縫いぐるみの制作過程で作られた「デザイン画」が美術の著作物であることが明らかだったから、争点にするまでもなかったなどの可能性が予想されます。


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posted by mkuji at 01:23| Comment(2) | TrackBack(0) | 著作権

2010年04月01日

「地名」の商標登録(「シダモ」はコーヒーの銘柄であり商標)



毎日jp 2010/3/29 知財高裁:「コーヒー豆名は商標」エチオピア政府が勝訴



 エチオピア産のコーヒー豆「シダモ」「イルガッチェフェ」は商標か、単なる産地名かが争われた訴訟の判決で、1審の知財高裁は29日、エチオピア政府の商標登録を無効とした特許庁の審決を取り消した。中野哲弘裁判長は「我が国では地名ではなく、銘柄として認識されている」として商標と認めた。(中略)


 判決は「取引業者や消費者は二つの名称が高品質のコーヒー豆やコーヒーを指すと認識しており、商標として認められる」と判断。一方で、協会が「エチオピア政府は、シダモ地方やイルガッチェフェ地域以外のエチオピア産コーヒー豆にも名称を使用する可能性がある」と主張した点については「誤認を生じさせる恐れがある」として、その場合は商標は認められないと指摘した。



日本の地名か外国の地名かを問わず「日本国内の需要者(消費者と取引業者)により地名と認識されている文字」(ある程度有名な地名)は地名として識別力が認められないので登録が拒絶されます。例えば、ワインについて「ブルゴーニュ」は商標登録できません。


このような「日本国内の需要者により地名と認識されている文字」を登録しようとすれば、(1)他の識別力のある文字や図形と合体させて出願する、(2)「地名+普通名称」などの形で有名ならば地域団体商標として組合名義で出願する、などの方法が考えられます。


逆に、「日本国内の需要者が地名と認識していない文字」(有名でない地名)は、商標登録される可能性はあります。今回の「シダモ」はこの例でしょう。


中国でも「青森」が中国企業により商標登録されたことが話題になったことがありましたが、これは「青森は、中国国内の公衆(需要者)によく知られた外国地名ではない」と認定(誤解?)されて登録が認められたものでしょう(この点、日本もそれほど事情は違いません。なお、中国での「青森」の商標登録は、その後の青森県などの異議により、「青森は、公衆によく知られた日本の地名である」として登録が無効とされました)。


今回の「シダモ」にしても、もし、日本の民間企業がエチオピア政府に無断で「シダモ」を「コーヒー,コーヒー豆」について商標登録したら、どうなっていたでしょうか? おそらく、エチオピア政府は「シダモはエチオピアの地名なのに勝手に商標登録するのはおかしい」と主張して無効審判請求をしたのではないでしょうか。


このように、地名についての商標の判断は、坂本龍馬などの「歴史上の人物」の場合と同様に、「誰が」出願しているのかが問題になることが少なくないと思います(「歴史上の人物」を商標出願する場合は、その出願人が町おこしの事業主体などの公益団体(自治体や商工会など)であれば登録が認められ易い方向に、そうでなければ町おこしを阻害する恐れがあるから公序良俗に反するとして拒絶され易い方向に行くと思います)。


なお、仮に「有名でない地名を示す文字」に商標登録が認められたとしても、その文字を通常の地名として使用することは誰にとっても自由であり、商標権の効力は及びません(商標法26条。中国にも同様の規定があります)。


また、有名な産地名を偽装した商品を出荷した場合、有名な産地名は商標登録できないので商標権侵害はないですが、不正競争行為として民事責任・刑事責任を追及されます(不正競争防止法2条1項13号。中国にも同様の法律があります)。


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posted by mkuji at 10:32| Comment(3) | TrackBack(0) | 商標