2017年01月03日

人間にできてAIができないこと(少なくとも当分の間は)

「人間にできてロボットができないこと(少なくとも当分の間は)の一つが、人間がしたいこととはそもそも何なのかを決めることだ。」(ケヴィン・ケリー著「インターネットの次に来るもの」より)

昨年は、自動運転とか囲碁ソフトがプロ棋士に勝ったなど、AI(人工知能)の話題が多かった年でした。
確かに、弁理士の仕事などは典型でしょうが机上でやる仕事の多くはAIに、立ち仕事でもそのかなりの部分はAIが組み込まれたロボットに、置き換えられて行くのでしょう。
でも、人間が食事したり、散歩したり、人と語らったり、いろんなことに悩んだりすることまで、AIが代わりにやってくれる訳ではないですよね。
その意味で、AIの出現は、人間にとって何が本質的なものなのかを、考えてみる良い機会になるのではないでしょうか。
posted by mkuji at 18:06| Comment(0) | TrackBack(0) | 技術の流れ

2016年01月03日

トータルバランス

「やっぱり最後はトータルバランスだと思うんだよね。」(孫正義。日経ビジネス2015/8/13号)
ソフトバンクグループの孫正義氏は、経営を将棋に見立て、飛車や角は勇まくて格好良い、それに比べて王将は一つしか動けなくてしょぼいなと若い頃は思うけど、やっぱり勝ち続けて行くには王将のようなトータルバランス・深みが必要なんだよね、と言っています。
私はこの記事をネットで読んだとき、ちょうどその頃、話題沸騰していた東京五輪エンブレムの盗用問題を思いました。この問題では、当初、五輪組織委は、また何人かの弁理士らも、テレビなどで「商標として類似していない、著作権侵害とはいえない」(だから問題ない)という方向の発言をしていましたが、結局、組織委がエンブレムの使用を取り下げたのは周知のとおりです。
これなども、商標や著作権だけの問題とするならば勇ましい発言も可能なのですが、トータルバランスの上で考えたなら、当初から少し違った方向性もあり得たのでは、と思います。世の中の仕組みや流れの全体を見据えたトータルバランスが必要だと感じました。

2015年10月29日

東大教授の編集著作権を侵害したとの理由による「著作権判例百選」の出版差止めの仮処分決定

「著作権判例百選」で著作権侵害、出版差し止め 2015年10月29日 読売新聞
http://www.yomiuri.co.jp/national/20151029-OYT1T50033.html
[引用開始] 法律専門誌「著作権判例百選」の編者の一人が、自分を編者から無断で外して改訂版を出版するのは著作権の侵害だとして、出版元の有斐閣に差し止めを求めた仮処分申請について、東京地裁(嶋末和秀裁判長)が著作権侵害を認め、出版差し止めを命じる決定を出したことがわかった。
 決定は26日付。
 これを受け、同社は11月上旬に予定していた改訂版の出版を当面見送ることを決めた。著作権に関する重要判例を紹介する専門誌が、著作権侵害を理由に出版できなくなる異例の事態となった。
 差し止めを求めたのは、大渕哲也・東大教授。同誌の第4版では編者の一人になっていたが、第5版では無断で外された。決定は、第5版に収録予定の判例や執筆者の約8割が第4版と同じであることなどを踏まえ、大渕教授の合意なく出版することは「著作権を侵害する行為」と判断した。[引用終わり]

 大渕教授は、「著作権判例百選」の第4版の編者を務めていたことから、本年9月に出版が予定されていた第5版と第4版とは判例や執筆者が9割近く一致しており、第5版は(独立した著作物ではなく)「第4版を原著作物とする二次的著作物」であるから、合意なく自分を編者から外して第5版を出版すること(自分の氏名を編者として表示しないで出版すること)は編集著作権(及び著作者人格権)の侵害となると主張しており、それが、今回、東京地裁により、仮処分の段階ではありますが、認められました。

 「著作権判例百選」といえば知財を扱う実務家(弁護士、弁理士、企業法務部)や学生なら誰でも知っている雑誌ですし、有斐閣といえば法律関係で最も代表的な出版社の一つで、大学教授の立場から見れば言わば「お客筋」(座談会の出席依頼とか原稿依頼などの商売の話をもって来てくれる会社)です。そして、有斐閣の雑誌編集部は、大渕教授が勤める東大の正門の目の前にあります。

 また、大学教授としては、大組織には刃向かわない温厚な人柄を演じておいた方が、政府の審議会委員に選ばれやすいなど、何かとメリットが大きいのは明らかです。

 そのような様々なマイナス面があるにも拘わらず、しかも「著作権判例百選」の第5版の出版を待ち望んでいた人も多いでしょうから、そのような人たちにいわば迷惑(?)をかけてまで、日本の知財を代表する学者が「お客筋」の出版社を相手に仮処分申請をしたというのは、勝てると思ったからでもあるでしょうが、私は、「肚の座った人だな」と感心しました。

 ある弁護士さんが、本件は背景に(編者から外されたことで)感情的な行き違いがあったのではないか・・・話し合いで円満に解決してほしいという趣旨のことを述べられておられましたが、私は、本件をそのようなゴシップ的な観点で矮小化してほしくないと思いました。
 本件が、「たとえ客筋であろうと理不尽なことがあれば原理原則を主張しそれを認めてもらうことが当たり前になる社会」に到達するための、道筋を付けてくれるような裁判になってほしいと思います。
posted by mkuji at 15:10| Comment(0) | TrackBack(0) | 著作権

2015年01月02日

機械が人間を超えても、人間はそれに気が付かない。

Google社の技術者 レイモンド・カーツウェル氏は、2045年にはコンピュータの知性が人間を上回ると予測しています(2045年問題。本当は、「機械が人間を超えても、人間はそれに気が付かない。」(カーツウェル氏)まま、地球の歴史を動かして行く役割が人間からコンピュータに移ってしまうということで、少し怖い話です)。
直感やヒラメキなどの右脳型思考についても、最近のニューラルネットワーク理論などによる脳型コンピュータが、そのうち人間を凌駕するだろうと言われています。
脳のニューロンやシナプスの数が蜂やマウス並の脳型コンピュータは既にIBM社や米スタンフォード大学が製作しているのですが、このニューロンなどの「数」を増やしていけば、量が質に変わる形で「意識」や「精神」を持つコンピュータができると、多くの研究者が予測しています。
高度な専門能力を必要とする仕事(特にタコツボ型の専門領域、机上での仕事)は意外にコンピュータに代替され易い反面、業務範囲がどこまでか画し難い、複数の領域を横断する、例外処理が多い、不特定多数の人を相手にする仕事はコンピュータに代替され難い、ということです。
posted by mkuji at 15:23| Comment(0) | TrackBack(0) | 技術の流れ

2014年01月04日

「俺のイタリアン」「俺のフレンチ」のビジネスモデル

最近いろいろ話題になっている「俺のイタリアン」「俺のフレンチ」(私は行ったことはありません)について、少し特許的な観点からコメントしてみたいと思います。

「俺のイタリアン」「俺のフレンチ」「俺の割烹」・・・は、既に多くのマスコミで報じられていますが、ブックオフコーポレーションの創業者・坂本孝氏の「俺の株式会社」が2011年9月に東京新橋に1号店を出してから展開しているチェーン店で、立ち食い形式としつつ、ミシュランの星付きクラスの一流シェフが高級食材で作った高級料理を高級店の半分から3分の1の価格で、つまり原価率60%以上(通常の飲食店の原価率は30%以下)で提供するという全く新しい業態による店舗です。
原価率60%以上としながら立ち食い形式にして客の回転率を上げて薄利多売で利益を出す、そのためには常に行列が絶えない店舗にしないと経営が成り立たないという厳しいビジネスモデルです。

俺のイタリアン-3.jpg

このような新しい業態・ビジネスモデルのアイデアは、坂本氏の著書「俺のイタリアン 俺のフレンチ-ぶっちぎりで勝つ競争優位性のつくり方」にも一部触れられていますが、「星付きレストランと立ち飲み居酒屋との組み合わせ発明」(ここでの「発明」はアイデアという広い意味)だと言えると思います。

星付きレストランでの一流の料理の提供サービスと、立ち飲み形式で客の回転率を上げる方法とを組み合わせて全く新しい業態のアイデアを創作した訳ですが、星付きレストランと立ち飲み居酒屋とは客層や店の雰囲気などは真逆で、それらを組み合わせようなんて通常人はまず思い付きませんから、組み合わせの意外性、アイデアの進歩性(特許要件の中の最も重要なもの)は十分にあります。

しかし、「自然法則を利用した技術的思想」(特許法2条1項)という発明性(特許要件の一つ)がないことから、特許を取得することは難しいと言えます(調べてませんが、おそらく坂本氏は特許出願などはしていないでしょう)。
ビジネスモデルもIT技術でカバーされているなどの要件を備えるものであれば発明性が認められますが、この「俺のイタリアン」「俺のフレンチ」のビジネスモデルは、IT技術でカバーされているとは言えないので、発明性が認められません。

しかし、自然法則を利用した分野かどうかに拘わらず、斬新なアイデアを生み出せるかどうかは、その人の生まれ持った感性や生き方に大きく依存しています。だから、もし坂本氏が経営の分野ではなく研究開発やモノづくりの分野に進んでいたならば、世界的な大発明を幾つも生み出していただろうと思います。

posted by mkuji at 17:09| Comment(0) | TrackBack(0) | 発想力の発明